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東日本大震災情報
学校法人誠心学園
廣瀬喜久子理事長に聞く

「3・11」境に日本は大きく変わる
「食」通して生きる意味を考えよう。



■大震災後に卒業式を敢行

 3月11日に起きた東日本大震災の衝撃が冷めやらない3月後半、ほとんどの学校が卒業式を中止しました。私自身も理事長として誠心学園の卒業式を行うべきかどうか、ぎりぎりまで迷いました。キャンセルするのが一番リスクの少ない方法だったでしょう。しかし、私には今回の卒業式に対して特別の思いがありました。ひとつは、卒業というのは人生の大きな節目であり、その式典の実施は欠けてはならないけじめだという信念。そしてもうひとつは、今年から卒業生が旅立つ社会は、3月11日を境に大きく変わったという事実を伝えメッセージを発信したいという願いです。教職員からは当初反対する声もありましたが、最終的には全員賛同してくれました。会場である横浜ベイシェラトンホテルの方と、特に避難誘導について詳細な確認と打ち合わせを重ねた上で、万全の態勢を整え3月19日に卒業式を行ったのです。

 私のスピーチは卒業式の開始に先立つもの、という形にしてもらいました。なぜこの時期に卒業式を行ったのか、卒業生と保護者の皆さんにどうしても分かってほしかったからです。伝えたかったことはただひとつ、食に関する仕事に携わる者として、混迷し不安に満ちたこの日本を、食を通じて変えていってほしい。今回の震災で電気やガス、水道、交通網などライフラインの存在が、いかに人々の生活を支えていたか浮き彫りになりました。そして「食」もそのひとつです。飽食の一方で、若者の不健康な食生活が問題視されるなど、日本の食は乱れています。震災により従来の価値観が揺らぎつつあるなか、「食べること」の意味を見つめ直し、真摯な食への取り組みを通じて社会を変えてほしい。そんなメッセージを伝えました。

■被災地の新入生迎えて

 それほど今回の震災が世の人に与えた影響は大きいものでした。良い変化のひとつは、自然と「助け合い」の心が生まれ、被災地のために何かをしたいと多くの人々が行動したことです。もちろん私達にもその思いがありました。しかし、現地の実情を把握しないで行動を起こしても、それがかえって被災者に負担をかけることにもなりかねません。そんなときに被災した当校の新入生と出会ったのです。

 彼女、鈴木めぐみさんが来校したとき、たまたま私も理事長室で執務していました。「陸前高田市から新入生が来ました」と告げられ驚いたのを憶えています。正直、進学を断念されるのではないかと危惧していましたから。神奈川県に住む叔母さんが陸前高田市に鈴木さんを迎えに行き、その足で来校されたということで、まさに着の身着のままの普段着姿でした。疲れた様子もなく進学の意志をみなぎらせていましたが、彼女の口から淡々と語られる被災地の様子には胸が詰まりました。もちろん被災した学生達には学校として最大限の支援を行うつもりです。

 当校で実家が被災した学生は10人いますが、幸いにして深刻な被害を受けた者はおらず、鈴木さんのご両親だけが今も避難所暮らしを強いられています。学生への支援とともに、被災地のために何かできることをしたい。その場でご両親のいる避難所への炊き出しを提案し、鈴木さんも快く案内役を引き受けてくれました。

■一路、被災地に向けて

 炊き出しのメニューについては鈴木さんの助言が役立ちました。例えばカレーライスは自衛隊の方がたびたび差し入れしてくれる。野菜や果物もふんだんに届けられる。温かいものには飢えているけど、お年寄りが多いから、シチューなど洋食には馴染めないかもしれない。こうしたことから、おでんと焼きおにぎりに決まりました。野菜も欲しいけど鮮度が心配だったので白菜の浅漬けをお持ちすることに。メニューがシンプルなぶん、調理師学校ならではの美味しさを追求しました。4月6日に学校で調理を行い、夜に陸前高田市に向けて出発しました。

 一行は総勢7人。私と鈴木さんに5人の教職員です。ほとんどの職員が「ぜひ行きたい」と手を上げたので5人に絞り込むのは大変でした(笑)。2台のワゴン車に分乗して高速道路を夜通し走りました。次第に周囲には灯りひとつ見えなくなり、暗闇の中で、急ごしらえで補修した道路を走る車はひどく揺れました。やがて夜が明け、延々と続く瓦礫の山を見たときの呆然とした気持ちは忘れられません。報道で目にした写真とは比べ物にならない現実がそこにありました。跡形もなく破壊された被災地を走る車の中で、「私達は生きているのだ」という実感が胸に迫ってきました。

■感動的な被災者との別れ

 鈴木さんのお父様がいる避難所に着いたのは朝の7時です。前日に電気は通っていたのですが避難所になった会館を使うことはせず、入り口の前で青いシートを敷き詰め「朝食会場」を作りました。そこら辺にある木片を燃料にしてドラム缶で焚き火をし、渡した網の上でおでんの寸胴鍋を温めました。鈴木さんは焼おにぎりを一生懸命作っていましたね。集まった人々は本当に嬉しそうに食事を頬張ってくれました。お父様もとても喜ばれて、何度も「娘をお願いします」と頭を下げられたので、こちらが恐縮したくらいです。

 お母様は実家に近い公民館の避難所におられました。一緒に避難されている方々もみな鈴木さんをよく知っており、まるで親戚の子が訪ねてきたような歓迎ぶりでした。ここでも炊き出しは好評で、特に漬物は「どうやって作ったのか」「作り方を教えてほしい」と口々にいわれました。明るい表情で話に興じる被災者の方に、こちらのほうが元気を頂いたような気がしましたね。私もお年寄りに交じって、「同化していますね」と職員にからかわれるほど楽しいひとときを過ごしたのです。こちらから尋ねなくても皆さん堰を切ったように3月11日の出来事を詳細に語ってくれました。誰かに聞いてほしい、分かってほしいという思いがひしひしと伝わってきました。

 引き上げるときは、皆さんが手を振って見送ってくれました。「ありがとう」と何度も何度も繰り返しながら、車が見えなくなるまでちぎれるほど手を振られていた。思わず「頑張ってね」と叫び、あとで校長から「頑張れは禁句です」とたしなめられましたが、そのときの私には「頑張れ」という言葉しか浮かびませんでした。それは祈りだったのかもしれません。

■生きることの意味とは

 鈴木さんのお母様から地域名産のワカメとお味噌、お醤油をお土産に頂きました。大津波の中で、難をまぬがれたものです。娘を思う親心が微笑ましかったですね。新学期に入ってすぐに、正式にだしをとったワカメのお味噌汁を作り、全校生に食べてもらいました。

 「美味しいに決まっているから味の感想は結構。それよりもこの一椀から何かを感じてほしい」と言葉を添えました。「何か」とは、生きることですね。生きることの意味が凝縮された味を、舌で、五感で感じてほしい。こういうことが本当の教育だと思っています。

 今回の大震災について石原都知事が語った「我欲」という表現は極端ですが、当たらずとも遠からずと思う部分もあります。自分の欲望が大事、欲しい物を手に入れるために手段を選ばない。恵まれた社会に蔓延するそんな驕り、唯物的な価値観に、今回の大震災は疑問を投げかける契機になったのではないでしょうか。

 余震の不安の中で敢行した卒業式や炊き出しを通じて、当校の教職員の意識も確かに変わりました。これからの社会を担う子どもたちを育てるために、さらに自らの資質を向上させようとする姿勢を感じています。そしてそれは学生達も同様です。入学式でも思いの丈を伝えましたが、学生もこれを重く受けとめて、熱心に学業に励んでいるようです。生命の根源である食を担う次代の若者に、大きな希望と期待を抱きながら、教育の重大な使命を感じているところです。(談)


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