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東日本大震災情報
新宿調理師専門学校
金子弘子理事長代理に聞く

古里への「思い」断ち難く



■母と兄夫婦が被災

 3月11日のあの瞬間、私は本校の事務室にいました。あまりの揺れに震源地が都心だと思い込み、「ついに東京大地震が来たのか」と戦慄したのを憶えています。TVで被災地が東北と知り、慌てて気仙沼市の実家に電話をかけましたが、すでに繋がらない状態でした。実家には年老いた母と兄夫婦が住んでいます。数日間は安否がわからず、眠れない夜を過ごしました。1週間ほどして、インターネットの安否情報サイトに母の名を見つけたときは、心の底から安堵しました。

 当日、自宅にいた母と義姉は、津波を避けるため近所の方と高台に逃げたそうです。途中で消防団の方が「歩いていたら間に合わない」と車で追いかけて同乗させてくれ、それで助かったと感謝していました。徒歩のままだったら、間違いなく津波に呑まれていたでしょう。それほど津波の襲来は速く、黒い壁のような波があっという間に防波堤を乗り越え、車や人を押し流しました。長年暮らした家が波にさらわれ消えていくのを、母はただ高台から見ていたそうです。

 流されたその家で、私も18歳まで暮らしました。目の前は海。実家は海苔やワカメの養殖をしていました。近所づきあいが密で、穏やかな土地柄でしたね。でも震災後の4月1日、ようやく現地に入れた私の前に広がっていた景色には、以前の面影はかけらもありませんでした。ただただ呆然として、涙が出るばかり。報道映像で見るのとは全く違う、悲惨な現実がそこにありました。

■故郷へ炊き出しに

 震災以降、多くの専門学校が被災地支援を行っています。本校も職人育成教育を綴った『職人のレシピ』(ダイヤモンド社刊)の売り上げの一部のほか、理事長や卒業生からの義援金を日本赤十字社に送付しています。しかし、直接被災地を訪れたことはまだありませんでした。

 もちろん「何かしたい」という気持ちは強く持っていますが、避難所によって格差があると伝えられるなか、実状を把握しないまま動いて、かえって被災地の負担になるのを懸念していました。また、幸いにして本校の在学生で、ご家族が避難所暮らしを強いられているケースはありません。こうしたことから、私に縁のある避難所に炊き出しに行こうという話が持ち上がりました。ありがたいことです。

 兄夫婦は震災以降、私達兄妹の母校である階上中学校で避難生活を送っていましたが、実は6月中旬に仮設住宅に入居できたのです。4月に迎えに行き、しばらく東京の私の家に滞在していた母も、住み慣れた土地で暮らしたいとの思いが断ちがたく、(仮設住宅の)入居を機に帰郷しました。でも兄は当選したことについて「心から喜べない」と語っていましたね。

 被災者全員が入居できるわけではなく、まだまだ避難所暮らしを余儀なくされている方が多いのですから。だからこそ今回の申し出は嬉しかったようです。はりきって避難所との橋渡し役を務めてくれました(笑)。

■毎日の食卓に上るものを

 炊き出しのメニューは第一線の料理人でもある上神田校長が考案されました。避難所には年輩の方が多いこと、また普段食べている料理が好まれるだろうということで、野菜の煮物や煮魚など、毎日の食卓に上るものが中心です。味噌汁には定番のワカメや仙台味噌を使うという、きめ細かな心使いにも感激しました。赤飯やデザートまであり、一度にいろいろなものを食べさせてあげたいとの思いが伝わってきます。

 普段、私は経理事務を担当しており、年に一度、生花と茶道を学生達に教える程度です。調理の現場から離れて久しいので、ただ見守ることしかできません。先生方が新学期の授業や行事に忙しいなか、毎日時間を作って調理室に集まり、一丸となって料理を完成させる姿には本当に頭が下がりました。

■ほっとする味を堪能

 当日は、階上中学校の調理室を借りて真空パックで持ち込んだ料理を盛り付け、被災者の方々に配りました。中学校の体育館や教室の一部にはまだ百人を超える人々が暮らしており、長引く避難生活に疲労の色も濃くうかがえました。

 でも皆さん、「つらい」とか「大変だ」といった愚痴は絶対に言われないのです。「大丈夫です」とほほえむ姿に東北人の気骨を感じました。故郷を出て数十年になりますが、近所の方が「(私の)小さい頃をよく覚えているよ」と話しかけてくれたり、中学の同級生と再会したり、思いがけず楽しいひとときを過ごしました。

 避難所ではちょうど自衛隊による炊き出しが終わったところで、朝はおにぎり2個、昼はパンと牛乳、夜は仕出し弁当という食生活。温かい食事は大変喜ばれました。また炊き出しに多いカレーや焼きそばなどの一品ものではなく、お惣菜を少しずつ、たくさんの種類を、という形は想像以上に好評でした。味はもちろん保証つきです。「本当にほっとする味で、元気がわいてきました」と言われたのが嬉しかったですね。

■被災地と自らへのエール

 階上中学校を後にして実はもう一か所、女川町の避難所に立ち寄りました。そこに本校で助手をし、20年ほど前に退職された方がおられたからです。炊き出しはできませんでしたが、自宅が流され、ご主人共々職を失った元同僚を元気づけようと、彼女が懐かしがっていた中華料理のお弁当をご家族分届けました。彼女の恩師が作ったものです。

 後日お礼の手紙が届き、そこには本当に良い学校で学び働けたこと、今回の来訪で教職員の温かさと団結力を感じたことが綴られていました。私も本校の卒業生であり、現在は職員として働いている身ですが、学生はもちろん、教職員を大切にする本校の伝統に誇りを感じています。

 懸命に毎日を過ごす避難所の方々に、さらに「頑張れ」と言うことは到底できません。ですが避難所を後にするとき、心の中では「頑張って、頑張って」と叫び続けていました。私達教職員もこの経験を糧として、頑張ろうという思いを皆で共有していきたいと思っています。(談)




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