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東日本大震災情報
学校法人片柳学園
千葉茂副理事長に聞く

今後も継続して東北支援を
最も必要なものを「見える」形で支援



■被災地支援は「見える形」で

 東日本大震災が発生した3月11日、私はたまたま北海道校におりました。あまりにも揺れが大きく、その上時間が長かったために「大きな被害が出ていなければよいが…」と思いながらテレビをつけて驚きました。

 テレビには仙台平野を走る巨大な津波の映像がリアルに映し出され、思わず私は息を呑み込みました。それは黒くて、大きくて、本当に不気味な津波が田畑や民家を呑み込みながら走る映像でした。これまで何回もこの映像を繰り返しテレビで見てきましたが、いつ見ても涙が出てくるような光景です。

 東京に戻り、職員から東京の状況や学園の様子を聞きました。大田区でも帰宅困難者がたくさん出て、蒲田キャンパスで500人を超える人たちを受け入れたという報告を受けました。

 巨大地震と、それに誘発された大津波の被害が明らかになるにつれて、片柳学園としてもこの未曾有の壊滅的な被害にどう対応していくのか、どのような復旧・復興支援をしていくべきなのか、教職員が意見を出し合い、真剣に議論しました。

 本学園には東北地方の高校を卒業したあと、「ものづくりの勉強をしたい」とたくさんの若者が毎年入学してきます。また教職員の中にも東北出身者がたくさんいます。みんなと話し合った結果、「目に見える形での支援がしたい」という意見が大半を占めていました。

 あるとき、岩手県の重茂(おもえ)漁協の船がほとんど津波で流失し、漁に出られないと途方に暮れている漁師たちの姿をNHKのテレビ報道で知りました。ウニやアワビ、ワカメを採る小型漁船が無ければ、漁業を生業とする漁民の方々の生活は成り立たないのです。そこで私は、直接現地の漁業組合に電話を入れ、「船を寄贈するために募金活動を始めたい」と伝えたところ、「こんなありがたい支援はない」という言葉をいただきました。早速、学内に『復興支援漁船寄贈プロジェクト』を立ち上げ、人道的立場から募金活動がスタートしたわけです。

■3つの漁協に6艘寄贈

 本学園には3つの専門学校と大学が設置されています。それぞれの学校の教職員や校友会、そして卒業生がたくさん活躍している企業等で5月の連休明けから募金活動を始めました。その一方で、私も現地に入って宮古市役所の方や漁協のみなさんにお会いし、お話を伺いました。現地の漁協ではウニやアワビ漁に出る5、6人乗りの小型漁船を切望しておりました。1艘が140万円ぐらいということが分かり、宮古、重茂、田老の3漁協にそれぞれ2艘ずつ寄贈することになり、募金の目標額を900万円に設定しました。この話がマスコミ等にも取り上げられ、ある方は匿名で48万円を募金して下さいました。

 支援活動の一環として、蒲田キャンパスのギャラリーで写真展『東日本大震災被災地の記録』も宮古市役所の協力を得て開催しました。作品の中には市役所の職員の方が撮影した閉伊川(へいがわ)をさかのぼる津波や、壊滅した沿岸部の生々しい津波の爪痕を撮影した写真など77点が展示されました。

 展示会場には募金箱が設置され、『被災地に漁船を贈ろう!』というポスターが張られて、入場者に募金を呼びかけました。募金額は現在、1200万円を超えています。

 船の発注については、地元の販売店に依頼を致しました。地元の業者にお願いすることは、復興支援にもつながるわけです。

 その第1弾ともいえる宮古漁協へは、7月24日に2艘寄贈することができました。残りの4艘はアワビ漁などに間に合うよう手配しております。

 宮古漁協への引き渡しには、日曜日にもかかわらず山本正徳市長、宮古漁業協同組合の大井誠治代表理事組合長をはじめ、市職員の方々が市役所で出迎えてくれ、また2艘の船が搬入された埠頭まで出向いてくれて「大切に使わせてもらいます」と大変感謝され、こちらも感激しました。本当によかったとつくづく感じた次第です。

■船は「あすなろ丸」と命名

 地元の漁協と打ち合わせが進む中で、寄贈する船にどのような名前がよいか、という話が持ち上がりました。被災地の復興という思いを込めて「復活丸」や「復興丸」の名前が挙がりました。地元の漁協では「幸丸」という考えもあったようです。

 私の小学校時代のクラスは「ヒノキ組」でした。担任の先生が「あすなろ」と「ヒノキ」の話をしてくれたことがあります。被災地の状況を見ていて、なぜか「あすなろ」という言葉がフーッと湧いてきたように脳裏をかすめたのです。あすなろと呼ばれているヒバの木が「あすは立派なヒノキになろう」ということから「あすなろ」という名が付いたといわれています。

 被災地の復旧・復興にお金はもちろんのことですが、被災地に住んでいる人たちの古里をあすは取り戻したい、あすは見事に復興を成し遂げたい。被災地の方にはそういう“あすなろ”の気持ちが必要ですし、これは今日の日本人が忘れている大切な気持ちでもあります。地元の漁協にもこの名前を認めていただきましたし、市長にも「“あすなろ”という船名は、漁民の気持ちを前向きにする」ということばをいただきました。

 本学園の卒業生が仕事や旅行でこの地に来て、片柳学園という母校があの大震災の時に、このような復興支援をしていたということに誇りを持ってもらえれば、本当にこれに勝る幸せはないと考えています。

■復興支援は3年計画で

 本学園では、被災に遭われた学生に対し学費の減免措置などの支援を行っていますし、今後はもっと幅の広い様々な支援が必要だと思っています。また被災地への復興支援についても今回で終わるわけではありません。日本工学院の校友会登録人数を見ても811人と北東北では最も多い卒業生が登録されております。本学園の教職員や校友会、さらには企業のOB会などを通して来年は宮城県、再来年は福島県ということで3年計画の支援活動を続けて参りたいと考えております。

 特に東北3県は全国的にみても専門学校への進学率が高い地域であり、ものづくりにおいても優秀な人材の育つ風土というか気風が根づいております。こうした被災地を少しでも元気づけられ、お役に立てられるよう本学園として今後も真剣に取り組んで参ります。

 文部科学省は、専門学校に対してこうした被災地へのボランティア活動や復旧・復興支援活動に期待しておりますし、また私たち専門学校も国が初めて専門学校生への就学支援を認めてくれたことに対する“返礼”として、被災地の復興支援と積極的に取り組むべきだと考えているところです。(談)


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