東京都・私立潤徳女子高等学校3年

椎 名 智 美
 

「私が目指す父の生き方」
 
 「ガチャン、ガチャン」と鳴り響く機械の音は幼い私の目覚ましだった。父は自営業で従業員3人を抱え、ネジやボルトを作っている。ネジといっても一つひとつの長さ、大きさ、形のすべてが違う。介護用のベッドや新幹線、清掃者など頼まれたものに一番適しているものを作っているのだ。それは、大変な力仕事であり重労働だが、父は夏は暑い中、冬は寒い中、一日中立ちっぱなしでネジを作り続けている。しかし、そんな重労働でありながら、ネジの単価は安く、赤字が続くこともよくあるようだ。私は一度「従業員の給料を少し減らしてもいいんじゃない」と冗談半分に言ったことがあった。赤字を出しているんだから、人件費削減も多少は考えていると思ったからだ。

 だが、父の返事は意外なもので、「みんな同じように力仕事をして大変だから、そんなことは出来ないんだよ」という言葉だった。事実、父はその埋め合わせを皆が帰った後に一人でしていた。幼かった私は父にかまってもらいたい一心で工場をよく覗きに行ったものである。

 また、真夜中に電話を受けて、父がいきなり作業着に着替えてどこかへ行ってしまったことがあった。後になって母にその訳を尋ねると、従業員がミスをしてしまい、その対応に納入先へ行ったというのだ。これは、母から聞いた話しであり、父からはそれに関して一切の愚痴や文句を聞いたことはなかった。そんな父は私にとって自分の父親というよりむしろ一人の経営者として尊敬できる存在である。

 多くの人は華やかな職業ばかりに目を向けてしまいがちである。しかし、私たちは普段生活をしている中で様々な人に支えられていることを忘れてはいけない。車やベッドのような商品には目を向けるが、それを支えているネジを素晴らしいと思う人が果たしているだろうか。父の作るネジはどんなに頑張っても主役になることは出来ない、地味な脇役である。けれども、脇役がいないと主役は十分に実力を発揮出来ないように、どんなに良い物でも、それを支えるものがしっかりしていなくては何も成り立たないのだ。

 現在、夢を追う「フリーター」や、やりたいことが見つからない「ニート」の増加が社会問題となっている。実は、私の父も車関係の仕事に就くという「夢」を持っていた。父が自分の「夢」を諦め、工場を継いだのには「親の仕事は子が継ぐ」という時代背景があったようだ。しかし、そんな父も今では図面の寸法を正確にすること、頼まれたものの材質などによって変わるドリルの研磨を慎重に行うことなど、自分の職業として誇りとプライドを持っている。

 父は私たちに、一言も工場を継げという話をしない。むしろ自分達のやりたい職業に就けと言うのだ。私たちは今、父の時代のような「親の職=子の職」という方程式に縛られることなく「職業選択の自由」を与えられた時代を生きている。しかし、様々な「自由」を与えられてきた一方で、私たちはあまりに豊かになりすぎてしまい、地についた生き方というのを見失いつつあるのもまた事実である。何千何万もある職業のうちいらない職業は何一つないのだ。問題なのは、その中でいかに自分が輝こうと努力するかである。

 幼い時から父の背中を見てきた私は、いつしか、父のように物を作る側ではないが、物を売る側として経営に携わっていきたいと強く思うようになった。今、私には父を越えられる経営者になるという夢がある。先輩である父を越えるためにも、私は大学へ進学し、経営学を学んでいきたい。そして、自分がずっと輝いていられるように努力していきたい。

 父、それは私の理想の職業人であり、よきライバルなのだ。


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