山陽女子高等学校(岡山県)3年

松 下 悠 里
 

「私の夢」
 
 「アナウンサーになりたい」。このたった一言が誰にも言えなかった。でも勇気を出して伝えてみようと思う、今の自分の、素直な想いを。

 高校2年生の春、私は放送部に入部した。1年生の時にも興味はあったのだけれど、毎日の勉強や通学だけでも大変なのだからと、入部することは諦めていた。でもその後、放送部の活躍を耳にする度に興味はますます膨らみ、遂に入部する決心をしたのだった。

 しかし入部当初は、やはり部室に顔を出すことすら難しかった。夏の大会に向けて部員全員が切磋琢磨する中、私用でその大会に参加できないことが分かっていた私は何となく居辛さを感じ、部室へ向かう足は更に遠のいた。このまま“幽霊部員”になってしまうのかなと思っていたある日、顧問の先生に声を掛けられた。部活動に参加していない事を怒られるのかと思いドキドキしたが、それは思いがけない放送部の仕事の依頼話だった。

 “オープンスクールで放送する部紹介ビデオの総司会者”これが私の放送部員としての初めての仕事だった。シナリオを渡され、次の日には撮影に入ったものの、あいにくの悪天候で撮影はなかなかはかどらない。しかもマイクなど普段持ったことのない私は、カメラを前にマイクを握ると、表情はぎこちなく台詞もうまく言えなかった。NGが続き、雨も時折強く降るようになってきた。撮り直せば直すほどうまくいかず、泣きたくなった。「いつものままやれば良いんだよ」。そんな私にカメラを担当していた友達が声を掛けてくれた。「そうか。無理に着飾らず、ありのままでいいんだ」。そう思うと不思議と気持ちは楽になり、リラックスして撮影に臨むことができるようになった。そしてもらった合格サイン。脱力感と同時に、今まで味わったことのない達成感に包まれた。出来上がったビデオの中には、どこかまだぎこちないけれど、とても楽しそうに笑う私がいた。

 そんなことがあってからは、少しでも時間があれば部活動に参加するようになった。

 撮影や取材で色々な所に行き、様々な人と出会い、それをみんなで形にしていく。そうやって創り上げたものを多くの人に伝える。その中で私は、今まで知らなかったことを知り、今まで考えもしなかった想いを抱くようになった。私の中の世界が大きく広がったような気がした。いつしか放送部は私にとって、なくてはならない存在になっていた。

 そして今年の6月、私にとって最初で最後の大会を迎えた。団体部門の他に私が参加したのは個人のアナウンス部門。初めてのことで戸惑いながらも、原稿作りから全て自分の力で準備した。この県大会で入賞すれば、全国大会への出場権を手にできるとあって、私は計り知れないほどの時間を費やし、これでもかというくらい練習をした。今までの人生で、ここまで何か一つのことに集中し追い求めたことはなかった。

 それでも大会当日は、不安と緊張で押しつぶされそうだった。「好きでしょう、アナウンス。伝えたいんでしょう、自分の想いを。大丈夫、大丈夫」。何度も自分に言い聞かせた。今から上がるこの舞台は決して戦場なんかではなく、私が一番輝ける場所、そう信じた。そう信じて、私は大きく深呼吸を一つして、舞台に上がっていった。そして掴んだアナウンス個人部門での第3位入賞と全国大会への切符。表彰式で名前を呼ばれた時は、驚きと安心感、そして私のアナウンスをもう一度聴いてもらえるのだという嬉しさで胸がいっぱいになり、涙が溢れた。

 全国大会に向け、また忙しい日々が始まった。大会での結果がどうなったとしても、私は諦めない。大会が終わったら、みんなに伝えようと決めていることがある。

 「私、アナウンサーになりたい」。

 私の夢は、まだまだ終わらない。いつか、好きな仕事で夢を叶える、その日まで。


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