武蔵野東技能高等専修学校(東京都)2年

菅 原   耀
 

「1人じゃいられない症候群」
 
 最近、人間関係に関する問題をよく耳にするようになりました。私は、現代の学校での人間関係がニート化の原因の一つだと思います。

 ニートになる人のほとんどが、ひきこもりの人ではないでしょうか。他人との関係が築けない、周囲の人と交流できない、自分の気持ちが表現できない、ストレスのモトになっている問題を解決しようとしない、社会の動きについていけないなど、いろいろな理由の中で、ニート化していくのでしょう。そのひきこもりの原因の一つが「1人じゃいられない症候群」だと思います。

 「1人じゃいられない症候群」というのは、1人になること、孤独になることに強い不安と恐怖を感じる現象を、ある人が表現した造語です。1人になることを極端に恐れ、いつも誰かと一緒にいないと落ち着かなく、誰かと一緒にいることで安心感を得ようとすることです。例えば、トイレも一緒、職員室に行くのも一緒、下校も一緒といった具合です。この現象はだいぶ前から問題になっていました。あらゆる場所でこの現象が起きています。私はこの現象の起源が学校にあるのではないかと思います。

 私がいた学校でもその現象が起きていました。特に登下校時などは、やたらと横に並んで歩いています。2人や3人だけならともかく、4、5人くらいで横に並んで歩いている人もいました。道が広ければ問題ないかもしれませんが、狭いと前から来る人、後ろから来る人の邪魔になります。そのことはまわりを見れば分かるはずですが気づいていないか、無視しているのでしょう。友達の輪からはずれないことのみに一生懸命で、まわりのことは考えていないことが分かります。

 次に、学校生活について言えば、皆必ず誰かと一緒にいました。1人で勉強などをする人は誰一人いません。休み時間くらいは友達と遊びたいのは分かりますが、一人ひとりがどうしてもしたいこと、しなくてはならないことがあるはずで、それぞれが違うことをしていてもおかしくはありません。

 これも同様、みんなと一緒にいること、同じことをすることで、「私たちは同じ」を確認しあって、安心していることの現れではないでしょうか。

 また、休み時間にもしょっちゅう違うクラスの人が来ます。以前、同じクラスだった人や同じ部活の人が誰かに会いに来てもおかしくはありません。私のいたその学校は人数が少ないわけでも、校舎が小さいわけでもありません。しかし、数回程度なら普通ですが、一日にくる回数が半端ではありません。来られる方は、何かをする時間がほとんどありません。このことも、「いつも一緒にいないではいられない」のです。そのことに必死で、相手のことを考える余裕がないのでしょう。

 このような風潮に違和感や疑問を持つ人もいます。いつも人の輪に加わらなくてはいけないこと、お互いに信頼もしていないのに「つるむ」ことの重圧から逃れたいと思う人もいます。

 このような不自然な生活を続けていくうちに、自分が属している人間関係、集団、そして、社会を拒絶するようになってしまいます。やがて、このことがひきこもりになるきっかけとなり、ニートになるのではないでしょうか。今、多くの学校では、日増しに人間関係が薄くなってきています。自分の思いや考えを話し合うことさえできないような、最低限の人間関係しか結べず、人と正面からぶつかることがなくなってきています。それどころか、人と正面からぶつかろうとする者をあざ笑うことが常識となってきています。

 私は、学校は「勉強」よりもまず、「人間関係」を学ぶ場所でなくてはならないと考えます。人間関係が確かなものになることで、「ひきこもりの生活」から「充実した生活」を送ることが出来るようになると思います。

 いつか、どのような学校もそのような場所になり、ひきこもりやニートという言葉が死語になる日が来ることを強く望みます。


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