山形県立山形東高等学校3年

稲 葉   彬
 

「僕はやっぱり医者になる」
 
 「僕は将来医者になりたい」。理由に変化は見られるが、この思いは幼稚園の頃からずっと胸の奥にある。幼少の時は単純に、医者である父が病気になった時、診る人がいないと思ったから。次は野球少年だった僕達のピンチを救ってくれたのが医者だったから。そして今は、人間の生と死、全ての人の根本に関わる職業だと思うからだ。

 人間は恐ろしいくらい強い、すごいと思う反面、悲しいくらい弱いと感じる。物事が上昇傾向にある時は気力も体力も充実するのに、歯車が狂い出すと周囲を巻き込み、止まってしまう。予想もしていなかった、ある日突然の事態ではなおさらだ。病・事故はまさにそうしておこる。そして抜け出すのには多くの力がいるのだ。その手伝いができるのこそ医者だと僕は思う。仕事が好きというより「困った時力になれる」という点に強く引かれる。

 「お医者さんは病気を治してくれる」と人は言うし僕もそう思っていた。しかしそれは無理だ。もちろん治せる時もあるけれど、人は必ず死を迎えるし、その恐怖、不安をぬぐい去ることなどできやしない。でも、患者さんと共に病と闘い、その懸命な姿を見せる事で、生きることの大切さ、死の受け入れ方を次世代の人達にも伝えていけると思う。

 以前友達のお母さんから衝撃的な話を聞いた。「母を病室で見た時、こんな目に遭わせたって思うと我慢できなくて、お医者さんに『人殺し』って叫んじゃったの。お医者さんは黙って頭を下げていたわ」。腹痛を訴えたお母さんを救急車で搬送したけれど手遅れで亡くなってしまったということだった。母も実父を突然亡くした時は、医者を恨んだといった。父は「大切な人を救えなかったんだもの。恨んでいいんだよ」と言っていたが、(一生懸命してくれただろうに…)と、僕には納得できない思いが残った。しかし年を経るごとに(患者さん、家族、残される人、全てを受け入れるのが医者なんだ)と思うようになった。辛いだろうが、悲しみ、恨みを受け入れることで、次へのステップに相手を立たせている、精一杯できることをしたという思い。「次に生かす」という自分への檄。落ち着いて思い返してくれた時、わかってくれるかもしれないという期待。それらが支えになるのだと思う。そしてこの多くの体験、厳しさを知っているからこそ、夜中・休日の呼び出しも、遅くまでの勤務も、学会、勉強会もこなしていけるのだと思う。

 医者になりたいといっても実際、研究・最前線医療・地域医療、何をやりたいか学んでみなければはっきりとしたものはわからない。しかし技術・知識を持っていれば一生涯役に立ち続ける事ができる。生涯現役で社会との関わりがもてるというのも魅力だ。若い、年輩にかかわらず最高の治療を求めて裁量権を持ち、意見を交わし責任を持つ姿もいい。営利目的では働くまい。という倫理観ももてる。人の命を扱いながら、そこには「絶対」とか「百パーセント」などと言う言葉はなく、命が常にある。謙虚にならざる得ないだろう。その思いが自分を律し、いつか患者の立場にたつ、危険と隣り合わせという危機感も戒めとなるだろう。

 先日図書館に行ったら、「7月の図書館は闘病記の特集です。」という張り紙とコーナーに目がいった。そこには、脳・心臓・婦人・心の病・小児・癌等、区画ごと闘病記から解説、絵本まで数十冊以上の本がおかれ、多くの人が読みふけっていた。日常生活が当たり前に送られている中でも、人は病・死の恐怖と隣り合わせにいると実感した。

 今高校3年生。現実を突きつけられ、高い目標だと感じてはいるが、夢に向かって精一杯努力したい。


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