山形女子専門学校高等課程 3年

安 部 麻奈美
 

「私のドレスで幸福を」
 
 私の将来の夢。それは大好きな洋裁に携わりながら、大切な人たちに心を込めてウエディングドレスを作ることだ。そして自分の作ったドレスで式を挙げることができたらどんなにいいだろうと思っている。

 私が母のお腹にいる時、担当医師から「障害を持ったお子さんが生まれますが……」と言われたそうだ。「でもね、生まれてきてほしかったの。」と母は優しく続けた。病院がいやで、元気な姉がうらやましくて病気について尋ねた時の出来事だと思う。幼すぎていつのことすら覚えていないが、以後私は、病気のことについて尋ねたおぼえがない。病気とともに私は生まれてきたのだと納得したし、すべてを認め、支えてくれた周囲の存在があったからだ。

 父は勉強全般をみてくれた。体力に限界がある私のできることをこつこつのばしてくれたと思う。休みがちな私に漢字・計算など基礎力をつけてくれた。いろいろな話をことあるごとにしてくれた。友達・先生が驚いたり褒めてくれると、私はますます父との勉強が楽しくなった。見知らぬ人から「字がきれいね。よくそんなことを知っているね。」などといわれると父が褒められているようで嬉しかった。

 そして母は洋裁への道を開いてくれた。衣料関係の仕事に就いていたので家に仕事を持ち込み、身の回りのものを手作りしていた。大きな布の大胆な裁断にどきどきしながら、私は部分部分が手品のようにぴたりとつながる世界にあこがれた。それが時間をかけて立体的に姿を変える不思議さに惹かれたのと、母のそばにいたい理由で私はよく母の作業をみた。母は私が手を出したがれば、端切れを渡して教えてくれたし、できばえを喜んでもくれた。洋裁って楽しいなあと思っていた時、私は母の勤めていた縫製工場の体験学習にいくことができた。こんなにたくさんの人が様々な行程に分かれて仕事をしていくんだ。技術が身につけば活躍できる。大勢の人と関わって必要とされ生きていける。こんな風に働きたい。未来がぱーっと開けた気がした。そして進路決定の際、私は洋裁の専門学校を選んだ。もちろん一時間の電車通、進路を早くに決定することへの不安もあったが、技術が身につく魅力の方が大きかった。それに携帯電話の存在。いつどこで何があったか即座に連絡がつく携帯は、友達との交信以外で私の行動範囲を広げてくれた。

 エプロン・ブラウス・刺し子・刺繍いろいろなことが身につく実感も嬉しかったが、自分にあった服ができあがった感動は大きかった。体の寸法にパタンを引いて裁断し、縫う作業は根気のいるものだったが、着心地は最高だった。特にパンツはラインもきれいで気に入り、人からも「似合う、似合う」といわれてすごく嬉しかった。色もデザインも自分が選ぶのだから格別だ。私はすごくやりがいを感じた。そして同じものを作っているはずなのに出てくる個性にも驚いた。クラス皆が一斉に作るのに作品としてできるものは一目で見分けがつく。布の色・柄・材質の持つマジックに改めて驚かされた。

 そして去年の学祭でのショーをみた私は、ウエディングドレスという新たな魅力に惹かれている。先輩達が自分用に作ったドレスはどれも本当にすてきだった。ギャザーの寄せ方から布の張り方、想像できない難しさだったが先輩オリジナルのすてきなドレスだった。着ている本人・周囲まで幸せにしている誇らしげな先輩達がとてもうらやましかった。私も作りたい。そして作ってあげたい。「麻奈美のがんばる姿で励まされてる」と言ってくれる姉や妹達のことを思い描いて心底思った。

 私は多くの人に支えられてきた。これからだってそうだ。だからこそ多くの人を幸せにする仕事をしたい。今私は夢のために日々技術を磨いている。みんなの笑顔の中央に私のドレスがあったら最高だ。


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