富山県立高岡工芸高等学校 1年

石 坂 真 実
 

「勇気ある孤独」
 
 小学校6年生のある朝、クラスで一番仲良しだった友人に突然無視されるようになった。なぜ無視されなければならないのか、心当たりが全くない私は、突然の出来事に事情がつかめず、ただ呆然とするだけだった。というのも、私は人一倍みんなに気をつかい、人に好かれるように頑張ってきたからだ。もちろん、その友人には特に気をつかってきたので、無視される理由が全くわからなかった。

 それでも次の日も、その次の日も無視され、グループのリーダー格だった友人に見放された私に声をかけてくれる人はいなかった。結局、私はひとりぼっちになってしまった。

 私は以前からひとりになることが怖くて、必ず誰かの側にいて、興味のない話題でも必死についていき、みんなに合わせて何回も知ったかぶりをした。本当は作り笑いも話を合わせるのもうんざりしていた。クラスにはいつもひとりで本を読んでいる人もいたが、そんな人のことを「友だちのいないかわいそう人」とか「人と話すことが苦手な暗い人」と心のどこかで見下していた。だから私は人にそんな風に見られたくない一心で、どんなに疲れていてもまわりに明るくふるまっていた。

 それなのにある日突然私はひとりになってしまったのだ。そして私は学校へ行くのが怖くなった。あんなに好きだった学校が大嫌いになってしまった。それから、学校をよく休むようになった。そんな私を心配して、担任の先生が毎朝家に迎えにきてくれた。先生は毎朝、無理に学校へ連れて行こうとはせず、私の悩みをじっくり聴いてくれた。そして私は「ひとりぼっちだと人に思われるのが恥ずかしい」と先生に打ち明けた。すると先生は「一人でいる人は、無理して人に合わせている人なんかよりよっぽど心の強い人なんだよ。」と言われた。その先生の言葉が私の心にすーっとしみこんでいった。そしてなんだか、体の奥から勇気が涌いてきた。

 それから休み時間は、ひとりで自由帳にイラストを描いて過ごすようにした。最初はみんながどう思っているのか気になってしょうがなかったが、2日もすると全く気にならなくなった。そのうち、今まで話したこともないクラスメートが私の自由帳を毎日のぞき込んで行くようになった。その子は私のイラストが気に入った様子で、私に話しかけるようになった。そして、イラストを見に来る人が多くなり、その結果たくさんの友人ができた。

 このように私が不登校の危機を乗り越えることができたのは、担任の先生のおかげだ。いまでも毎朝迎えに来てくれた先生のことを思い出すと涙がこみあげてくる。私がひとりでも耐えられたのは、先生がいつも私を見守っていることを心で感じることができたからだ。私はひとりではない、先生が私のことを思っていてくれると信じられたからだ。そうだ、私は一人ではなかった。

 私はこの経験から、将来教師になろうと決心した。私を支えてくれたこの担任の先生のように、生徒たちに「勇気ある孤独」を教えてあげたいのだ。自分を押し殺して、無理をして人に合わせるより、「自分は自分でよいのだ」とひとりでもしっかり立っていられる強さをもってほしい。自分で立っていられる人が本当の友情を見つけられるのだと思うからだ。

 「人」という字は「人と人とが支え合う様子」を表しているというけれど、私には大地に足を広げて踏ん張って立っているように見える。先生は、人間は一人で立っていることができなければ、自分らしく生きることはできないということを私に教えてくれたのだと思う。こんなすばらしい先生に出会えて本当に私は幸せ者だと思う。いつの日か私も生徒たちに「勇気ある孤独」を教えられる教師になりたい。そして、先生のようにいつも生徒を思いやり、心の支えとなれるような教師になりたいと考えている。


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