大竹高等専修学校(東京都)2年

立 岡  孝 将
 

「弟を支えて下さる先生方のように」
 
 「おまえ、あいつの兄貴?」「あいつ、変だよな。」いつもこのような言葉と戦う日々だった。僕の弟は、自閉症という障害を持っている。別に隠す必要はない。隠したことは一度もない。

 弟と私は、同じ小学校に通っていた。そして、毎日見ていた。上級生から弟がからかわれている様子を。なぜ、いじめるのか。なぜからかうのか。直接、質問をしたこともある。しかし、その理由は言葉にならない。「あいつの兄貴だから、おまえも汚い。」時には私に矛先を変え、兄弟共に罵倒を繰り返しあびる。私は憤りを感じる毎日を過ごしていた。

 ある日、鬱憤がたまりにたまった私は、暴力事件を起こしてしまった。噂はすぐに広がった。あの兄弟は乱暴者で気持ちが悪いと。弟にも迷惑をかけた。辛かった。帰ってきても悔しさをにじませている私を見て、母は、こう言った。「弟の学校を変えよう。」大きな決断だった。

 弟は程なく、他校にある通級クラスへと学舎を変えた。そこは、今までと全く違う場所であった。私も訪れたとき、すぐに気が付いた。教室内には様々な工夫がされていたからだ。驚いている私に先生が教えてくれた。「障害を抱えた生徒には、私達も工夫をこらした指導法で接しているんだ。でも、僕たちだけじゃない、君も工夫をすることでぐっと道が開けるんだよ。」初めて、目の前が開ける。そんな感覚だった。

 特別支援教育という技術、指導法が存在し、そこの先生方は、そのプロフェッショナルである。弟自身、頑張ることができるように、先生方がサポートしてくれる。そんな教育方法・環境があったことに感動した私は、弟に対する家での接し方などを先生方に夢中で聞いた。心の中に溜まっていた苦しみや憤りが無くなったことに気が付いたのは、後になってからのことであったが、私だけではない。弟自身もみるみる表情が豊かになっていった。

 今までは強い薬で多動性や問題行動などを抑えることもあった。自分が何を食べているのか、それすら分からない程、薬でふらふらになっていた時もあった。弟には苦労をかけた。しかし、今はこんなに素晴らしい先生達がいる。一緒に頑張ろうと言ってくれる先生達がいる。先生達のおかげだ。先生達のおかげで、弟は大きく変わったのだから。今では弟の個性が良い方向で発揮され、明るくなった。友達の名前など、一切口にしなかったのに、今では沢山の友達の名前が出てくる。私はそれを聞いて、弟の嬉しそうな顔を見て、感激して泣いた。

 いつしか、私は弟をサポートしてくれる先生方に強い憧れを抱くようになっていた。こんな仕事があるのか。こんなに素晴らしい仕事があるのか。私も出来ることなら、知的障害で苦しんでいる本人やその周りで葛藤している家族を支えたい。今、世の中で必要とされている仕事は、こういう仕事ではないか。そんな風に思うようになった。

 私は今、学校で調理師免許を取得するために頑張っているが、どういう形で知的障害を持った子供と、そして、その家族と関われるかはわからない。しかし、出来れば、彼らと関わることが出来る場所で、勤務することが出来たら良いと考えている。その為に、日々勉強をしているのだ。


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