熊本県立玉名高等学校 1年

塘 岡  佑里子
 

「やりがいのある仕事」
 
 「どちらさんでしたっけ。」

 この言葉を聞いたのは三度目だった。私は無理につくった笑顔で、「四中から来ました。塘岡佑里子です。」と答えた。

 中学2年の夏、職場体験学習で老人ホームに行った。行き先をここに決めたのは、単に仲の良い友達から誘われたから、ただそれだけだった。だから特に興味も持てないまま事前学習も終わり、ついに「平成ドリーム館」のドアを開けた。しかしそこで待っていたのは私の予想を遥かに超える光景だった。ヨダレ垂らして、何か訳の分からないことをつぶやいている人もいれば、怒鳴っている人もいる。私は思わず立ち尽くしてしまっていた。

 間もなく朝のミーティングがあり、私の担当は島田さんになった。彼女は80歳を過ぎた重度の認知症だった。だから20分おきに私の名前を尋ねてきた。そして30分おきに場所も分からないはずの家に帰ろうとした。それを引き止めたり、車いすを押しながらリハビリの手伝いをしたり、時には食べこぼしを拭いたりと、すでに午前中だけで疲れ果ててしまっていた。そんな時ある介護士の方が私に話しかけてきてくれた。

 「お疲れ様。この仕事はとても大変だけど、『ありがとう。』って言われた時はとても嬉しいし、やる気が出てくるんですよね。案外やりがいのある仕事ですよ。」

 そういう彼女の笑顔はとびきりに生き生きと輝いて見えた。しかし私には体に力が入らない人達をお風呂に入れたり、マッサージをしたり、また汚物も取り替えなければならない。こんな大変な仕事を、「ありがとう」の言葉一つで「やりがいのある仕事」と言える彼女が不思議だった。

 そして実習最終日、私は島田さんにずっと気になっていた、いつも大事そうに眺めている一枚の手紙について聞いてみた。それは息子から貰ったものだと、彼女は目に涙を浮かべながら話した。その時彼女のために出来ることはないか、と強く思えた。そしてその日、精一杯働いた。

 いよいよ帰る時間になり、島田さんに別れのあいさつをして帰ろうとした時だった。

 「塘岡さん。今までのお礼にこれを持って行ってちょうだい。ありがとうございました。また来てね。」

 そう言いながら私の手に飴を渡してくれたのは島田さんだった。思わず泣きそうになった。嬉しかった。こんな私でも人から感謝されることができたことが。

 そして私の名前を呼んでくれたことが。

 それから、将来何か人の役に立つ仕事をしたいと思い始めた。今、考えているのは教師である。将来受け持つ子ども達には、できる限りの愛情を注ぎ、少しでも役に立ちたい。確かに人から感謝される、ということはそう簡単なことではない。社会人なら失敗は許されないし、辛いことや時には自分には出来そうにないことを要求されることがあるかもしれない。でもそれを、老人ホームで働いていた彼女のように「やりがいがある。」と言えたらとても素晴らしいことだと思う。そして、それを生きがいに出来たら幸せだと思う。このことを島田さんが教えてくれた。

 私は、夢に近づくために今日も勉強机に向かう。机の上に飾ってある飴を見つめた。


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