今泉女子専門学校高等課程 2年

安 斎  美 雪
 

「名を残すこと」
 
 名を残すこと。それは、人としてとても名誉なことである。特に芸術家にとって、名を残すということは、すなわち自分の作品を後世に伝えるということにもなり、その栄誉は計り知れない。

 しかし、仮に私がどれだけ優れた作品を残しても、私の名は後世に残ることはない、と私は思う。なぜなら、私の目指す「お針子」という仕事は、世にも珍しい、名を残さない芸術家なのだ。

 私はいわゆるお針子の卵である。「今の時代、手に職をつけるのは大切だからね」「技術は身につけた者の勝ちだから」「私なんて何にも出来ないから、うらやましい」などと、この学校に進学してから、何度も先輩や友達から言われたものだ。

 私も正直そう思っていたから、この学校に進学したのであり、確たる夢があった訳ではなかった。しかし、仕立て方を学び、新たな反物を見て布に触れるたびに、私は「仕立てる」という仕事の魅力にとりつかれていった。その魅力は恐ろしいもので、自分で仕立て上げるときは心が弾み、他の人の仕立てた着物を見ては心を惹かれて、昔の着物には高名な芸術家の作品を見るよりも心が震えた。ほとんど魅せられているようなものである。

 その昔に作られた着物を見るために、「日本昔きもの美術館」へ行ったときのことである。私は一つ気になることを発見した。この美術館は名前の通り、古くから伝わる着物を展示していて、中には花魁の着物なども飾られている。

 丁寧な仕立て、豪華絢爛な柄に細やかな刺繍、目にも鮮やかな色で、まさに芸術としか言いようのない作品である。それなのに、これらの作品を丹精込めて仕立てたであろう製作者の名は、どこにも見出せなかったのだ。

 以前、祖母が亡くなった折り、着道楽であった祖母の箪笥から、大量の端切れが出てきたことがあった。

 その端切れの一枚に、「みゆき」と縫い取りがしてあって、孫である私と何か関わりがあるのではないかと驚いたものだ。よく聞いてみれば、仕立てた人の名前だろうということだった。

 着物を仕立てた人の名前が、表に出るということはまず皆無なのである。万一、伝わることがあったとしても、このように偶然に発見されるというものなのだ。これにしても、祖母の物持ちがかなり良かったからの話であり、確率から言えば非常に低いといえよう。

 日本の民族衣装である着物は世界に誇れる文化であり、そして時空を越えて後世へと伝わっていくことが可能なのに、作り手が表に出るケースはほとんどなく、世間に知られることもない。これは私はとても惜しく、また残念でもある。

 業界のシステムから考えて、作り手の名前が表に出ることは難しい。だが、誰が作ったものであっても、素晴らしいものは認められ、今に伝えられている。それは、誰の作品なのか、ということとは関係なく、掛け値なしに美しく、尚かつ見た人に強く訴えかける何かを秘めているからであろう。

 このように、例え作品に制作者の名が残らなくても、見た人、着た人に強く訴えかけられる「何か」を秘めた作品、そういうものを私は残していきたい。


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