静岡県立磐田西高等学校 3年

豊 島 のぞみ
 

「まもるもの」
 
 『看護』の看とは、手と目という字から成っている。熱が出た時など、額に手を当て異常はないか確かめる。そしてよく見る。護とは、まもり、かばうことである。

 私の母は看護師だ。小さい頃からケガや病気の絶えない私を、どんなときも優しく手当てをしてくれた。そんな母を心強く思い、家族みんなが母を信頼していた。

 大きくなるにつれ、自分の体や医療について興味を持つようになった。処方された薬などはどんな名前でどんな作用があり、またどんな副作用があるのかなどを調べたりして、母と一緒に勉強したこともあった。しかし、私が本当に看護師を目指すようになったのは高校1年の夏休みだ。

 もともと気になっていたが友達に誘われ、『看護一日体験』という体験学習に参加した。自宅近くの総合病院へ行き、実際に患者と接して、看護の仕事について勉強させてもらった。入院患者のためにベッドメイキングをしたり、食事介助、ひげそりなど体験した。何をするにしてもとても気を使う作業で、シーツにしわがよらないように、どうすればスムーズにご飯を食べてくれるかなど、たくさん考えさせられた。

 上手に介助できなかったが、「ありがとう」と言われ、胸がくすぐったくなった。体験学習も終わり、家についてから病院でもらった資料に目を通した。そこには医療従事者が少なく患者を思うように受け入れられないこと、地域の医療格差など医療における問題点が書かれていた。

 私はふと、今日出会った患者さんたちのことを思い出した。そして「ありがとう」と言ってくれたときのあの嬉しさ。看護師になって、多くの患者さんたちの笑顔を見たい、1人でも多く苦しんでいる人を助けたい、そう思った。

 先日、体調を崩していた私は、1人で電車で帰宅途中、突然気分が悪くなり、倒れてしまった。すぐに周りの人たちが駆け寄って助けを呼んでくれた。しばらくして救急車が到着した。最寄りの病院は対応できないとのことで、少し遠いが受け入れてくれた病院へ搬送された。かるい貧血と診断されて安心した。駅でずっと付き添ってくれていた見知らぬ人たちが「大丈夫だよ、もうすぐ救急車くるからね」と励ましてくれた。救急車の中で救命士の人が、「怖かったね、もう大丈夫だよ」と安心させてくれた。その優しさがとても嬉しかった。

 しかし、私がもっと重大な病気で倒れたら、どうなっていただろうか。救急車が来るまで少し時間がかかった。そして搬送されるまでの時間。もし命にかかわるほどの病気だったら私は助かっただろうか、と考えた。最初の受け入れが断られたのは、おそらくその病院がスタッフ不足だったからではないかと思った。そのとき、体験学習で学んだ医療問題を思い出した。

 看護する立場、される立場になって、身をもって感じることのできた医療問題、人の優しさ。私は改めて、看護師になりたいと思った。どんな患者にも優しく接し、体だけでなく心の異変にも気づけるような気の利く看護師。1人でも多くの不安や痛みを取り除いてあげられるように、一人前の看護師になって多くの患者さんの笑顔をみたい。

 だから私は看護の専門学校に進学する。専門的な知識を身につけ、看護師としての心得・考え方・行動を自分のものにできるように、たくさんのことを学びたい。そして私は一人前の看護師になり、多くの患者の笑顔をまもるのだ。家族の笑顔をまもる母のように。


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