函館白百合学園高等学校 3年

吉 本  早 希
 

「いつかはきっと、と信じ」
 
 私は将来、NGOの職員になりたい。私がこのように考えるきっかけになったのが、フィリピンでのボランティア活動である。

 まず、事前学習で学んだことの一つに、エイズの問題がある。フィリピンでは宗教上の問題により、中絶が認められていない。その上、避妊具や避妊薬がほとんど広まっていないため、女性はできた子供を、たとえパートナーがいなくとも、経済的に産むことが困難であっても、産まなければならないのである。

 実際、フィリピンに行き新たに知ったことは、そこでは産まれた子供を孤児にしてもよい、という法律があるということであった。

 現地で出会った孤児の一人に、私と同じ誕生日の12歳年下の男の子がいた。私が12歳の誕生日に彼は産まれた。私が家族に祝福されている時、彼は産まれた。そして、産まれた瞬間に孤児となり、NPOの職員に引き取られたのだ。彼の母親は、おなかに子供がいると分かった時に、その子を孤児にすると決め、子供が産まれる随分前に孤児にする手続きを終わらせていたのだった。

 孤児院を訪問し、目の当たりにした光景は、口に表すことが出来ないほど、衝撃的なものであった。私はこの国の宗教や思想、慣習さえも180度変えようとは思わない。しかし私が見た、子供達の姿をこのまま放っておいてはいけないと思う。そして、HIVやエイズの感染は私達の働きかけによって、食い止められるかもしれないと思った。今ここに存在する人間だけでなく、これから産まれてくる子供、この世界を切り開いていく人間の命が危ぶまれる時代がきたら、この世界はどうなってしまうのだろうか、と不安になった。

 次に貧困問題である。人間が男、女と2つに分けられるように、世界には私たちが考えられないような、富裕層や貧困層が当たり前のように存在する。現地で私が目の当たりにした、ごみをあさっている子供たち、物乞いをしに集まってくる同年代の少年。彼らを見て、心の中でごめんね、ごめんね、と謝ることしかできなかった。

 もし、世界中の食べ物がみな平等に与えられたら、全ての人が1日に必要なカロリーをはるかに超えた食事にありつける。本来1人が1つ持つべきものを、1人が2つも3つも持とうとするから、1つも与えられない人ができてしまうのである。彼らに十分な食事が与えられる可能性がある限り、それを現実のものにしたいと思う。実際に世界の全ての人が十分に食べられるだけの食料が、地球にはあるのだから。私たちがいくら努力しても、願っても過去は変えられない。けれど、私達の働きかけ、行動によって救われる人がいる限り、私はそのために力を尽くしたいと思う。

 「私一人が変えようとしたって無駄だ」。そんな無駄なことを考える時間があったら、行動した方が絶対にいい。私たちに与えられた時間は限られているのだから。

 マザー・テレサの言った言葉のように、愛の反対は無関心なのだ。自分だけが幸せならそれでいい、そんな考えはどんなに冷酷であろうか。私は、世界の全ての人が少なくとも一日三食の食事、雨や風がしのげる家が与えられ、恵まれない子供がこれ以上増えない世界をつくりたい。だから私はNGOの職員になりたい。一瞬で世界を変えることは出来ないけれど、その長い道のりの中での大きな一歩となれる人になりたい。

 いつかはきっと、世界は平和になる、そう信じて。


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