今泉女子専門学校高等課程 3年

早 尾  絵 理
 

「教えるということ」
 
 「若い芽を摘むようで悪いけど、この世界でやっていくのは難しいよ。諦らめろなんて言わないけど、考え直した方がいいよ。」と叔母が言った。

 中学で進路を決める時、好きな編物をしっかり勉強して、将来は編物関係の仕事に就きたいと心に決め、毎日編物の作品作りに打ち込んできた。

 叔母の言葉で、自分はただ夢を見て自分のしたい事をして生きてきただけなんだということ、実際にこの世界でうまくいっている人なんて一握り程度だし、自分はその中に入れるのか、考えれば考えるほどマイナスの方に考えてしまう。諦めた方がいいのだろうかと悩んだ。空しくなり、もうどうでもいいやという自分がそこにいた。

 その様な中、市の小学校家庭科研修会の講師依頼が学校にあり、編物の先生の補佐役として同行するように言われた。内容は手編みの可愛い帽子の形で、ブローチにも針刺しにも使える小物作り。私は緊張して先生についていった。この研修会で人に教えるということがいかに難しいのかを知った。

 相手に伝える言葉が出てこないのだ。こんな自分に戸惑った。小学校の先生は、優しく温かい目で真剣に私の説明を待っていた。しっかりしなければと思い、自分はどのようにして編んでいるのか思い出し、どの様に言えば伝わるのだろうか、実演して見せた。

 どうだろうかと頭の中で考えながら、教えることに意識を集中させた。すると不思議なことに次第にコミュニケーションがとれるようになり、笑い合って接することが出来た。

 状況に慣れただけかもしれない。だが、この研修会の日から自分の中で、もやもやしていたものがすっきりとし、研修会の一日がとても濃い充実した一日だったと実感できた。教えるという立場が理解できたこと、教える時は色々な工夫が必要であることが良く分かった。

 この日、驚くことがあった。私が小学校時代の担任の先生が参加されていたのだ。自分の恩師に教えるということは、なんだか恥ずかしかった。「立場が逆になったね」と先生が現在の自分に心からエールを送っているように話され、私はとても幸せな気持ちになった。10年振りの再会がこの様な形になり、少し成長した自分を見せられたことが嬉しかった。作品を完成させ勢揃いして撮った記念写真がお礼状と一緒に届いた。

 叔母の話を聞いた時、私は何も答えられなかった。今、私は叔母の話をしっかりと受けとめ、はっきりと答えられる。自分のできることをどんどん進めて夢に向かおう。諦らめる諦らめないという事ではなく、自分は編物が大好きで、大好きだから続けられるのだと確信できた。

 編物の良さはと聞かれたら、たくさんあげられる。家族みんなが家でくつろぐあの安らぎが編物にあり、赤ちゃんから老人まで多くの人に愛用されている。私は着る人がかっこ良くステキに見えるデザインや編み方、カラー等を考え、世界で一枚だけ、その人の為だけのオリジナルな作品を作りたい。

 そのためにも編み方を熟知するばかりでなく、服飾全般の知識や社会の出来事、世界の動きに広く目を向けて編物で頑張っていきたい。いつかあの日の様に教える側の人になりたいから……。


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