早稲田実業学校高等部 1年

本 橋  り の
 

「異業種だから輝ける」
 
 「こんにちは。」

 私の店での挨拶は「いらっしゃいませ」を使わない。そう決めたのは、母だ。

 我が家は、果樹農家。私も夏中畑で過ごす。

 母は、教師をしていたが、父と結婚したため農家の一員となったのである。

 夏の間は果物を販売するので、畑の前のログハウスでレジを打つ。もちろん母は、今まで農業にも販売にも携わったことがない。だからこそ、物心がついた頃から農業をしている父とは違った視点を持っているのだ。

 「こんにちは」と挨拶をするのもそのひとつだ。一見「いらっしゃいませ」と言った方がお客様に対して丁寧だと思える。しかし、そう言われてしまうと(買わなければならない)というプレッシャーを与えてしまう。産直だから(ちょっと覗いてみたい)と思って来る人もいる。その人達に気軽に見てもらうには「こんにちは」や「おはようございます」が確かにふさわしい。

 母は生産する側になったことがない。そのため今は生産者の身でありながら、消費者の気持ちもよく分かる。そういうことが職業にも生かされているのだと思う。

 私も服を買う時に試着をして、店員さんに「似合います」と強引に言われ、購入した経験がある。だが結果としてその服は一度も着なかったし、その店からも足が遠のいてしまった。「今日のお客様」に、気持ち良く「明日のお客様」になってもらうためには、売り手の心構えが大事である。母はお客様の立場になって考えるという点で、私に服を売った店員さんとはまったく違っている。

 夏に梨とブドウを売っている母は、とても生き生きとしているように見える。以前、母に、「教師をやっていた頃から農業や販売業に興味があったの?」と、聞いたことがある。

 すると母は「いやあ、まったくなかったわね。」そう、さらりと答え

「なんでもやってみると、その中にやりたいことが見つかるものよ。夢は変わっていく。」

 その母の言葉を聞いて、私の周りの大人を見ても、幼い頃になりたかった職業に就いた人は稀だということに気がついた。実際、父もツアーコンダクターになりたかったのだが「農家の長男は農家を継ぐ」という暗黙の了解があって、小さい頃から農業をしていたのだ。

 にも拘らず、何故、父と母は大変な中を楽しそうに働いているのか。それは、自分自身で仕事の中に楽しみや喜びを見つけているからではないかと思う。父が毎年、新しい品種のトマトを育て、そこに私達娘がイラストを添えて、母が宣伝文句を書き加える。また、母は元教師なので、顔と名前を覚えるのが得意なため、お客様にとってもサプライズになる。

 私も意外に思っていることだが、お客様の中には、単に梨やブドウや野菜を買いに来るのではなく、私達の農場を応援してくれる人が多い。そういった人達との交流やおしゃべりも母の楽しみのようだ。

 「梨とブドウが美味しいし、野菜は新鮮だし、なによりここに来ると元気になる。」と、何人ものお客様が言ってくれる。それは独身の時とはまったく違う職場にいる母が、向き不向きに関係なく、ここが自分の職場だと心に決めて前向きに働いているからだと私は考える。

 私は小学生の頃から放送作家という職業に憧れている。そのため、多くの本を読んだり映画やドラマを見たりしているが、もしかしたら希望通りの職業に就くことはできないかもしれない。しかし、どんな職業に就いても母のように相手の気持ちを考え、どんな仕事の中にも喜びを見つけようと努力する人間になりたい。異業種だから輝けることもある。

 私の理想とする職業人は、母だ。


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