早稲田大学高等学院 3年

宿 谷  俊 樹
 

「正義を実現するために」
 
 「大人になったら悪い人をやっつけるヒーローになりたい」、これは小さな頃の私の口癖である。我ながらとんでもないことを言っていたと思う。私にはそのような力はない。私はヒーローになどなれない。今ではもちろんそんなことは分かっている。高校生にもなると、自分の力量くらい把握できるものだ。しかし分かっていながらあえて言おう。今の私の口癖は「大人になったら正義を実現して罪を滅ぼすヒーローになりたい」だ。

 目を瞑(つぶ)って想像してみてほしい。自分の愛しい人が目の前で殺される、自分は犯人の顔を見ていてそれを証言するが犯人は無罪を主張し、裁判で争った結果、犯人は無罪になる、そんな世界を。恐ろしい世界だと思う。しかし、実は目を開ければ簡単にその世界を見ることができることに気付くだろうか。今の日本ではこのようなことは普通に起こりうるのだ。私はこれを許すことができない。

 小学校1年生のとき、クラスで盗難事件が発生した。盗まれたのはカードゲームで使われる超レアカード。当時の私たちにとっては、お宝だった。盗まれたカードの持ち主、ここではあえて「被害者」としよう。

 被害者は事件当日の昼休み、カードを机の上に置いたまま校庭へサッカーをしに行き、戻ってきたらカードがなくなっていた。その後すぐに犯人捜しが行われ、何人かの友人が疑われたが、結局、犯人は分からず事件は迷宮入りしてしまった。表面的には。

 実際には、クラスの何人かは犯人を知っていたのだった。なぜかと言うと、その犯人と疑われた子は、事件の翌日にそれと同じカードを手に入れていたからだ。そのカードは盗まれたカードと同じ場所に傷があり、誰が見てもそのカードが盗まれたものなのは明らかだった。

 私たちはそれを先生に伝えた。しかし、先生の返事は「盗んだのを見てもいないのに友達を疑ってはいけない」といったのだった。ショックだった。今でもそれを言われた時の悔しい気持ちと「先生はおかしい」と思ったことをはっきりと覚えている。

 この幼い日の出来事が原因で私は「正義」のヒーローになりたいと思うようになったわけだが、実際にいざ何かしようとしても、何をすればいいか分からなかった。そんな中で出会ったのが高校生模擬裁判選手権だ。この選手権では各校が弁護側、検察側に別れて実際の事件をモデルにして争う。そこで本物の検察官の話を聞いたりして、人を有罪にすることの大変さを学んだ。また、実際に裁判を行い「正義」という言葉の難しさ、奥深さを痛感した。

 このような体験をした今では、私は正直あの時の先生の対応が本当におかしかったのかどうか、判断することができない。私達でさえ気付いたのだ。先生が犯人と疑われた子の怪しさに気付かないはずがない。しかし先生はあえて犯人を捜さなかった。

 もし犯人が見つかれば犯人には「盗人」というレッテルが張られることだろう。その後、普通に彼が学校生活を送れたとは思えない。先生はそれを知っていたのだ。そしてその上で犯人を断定することはしなかった。これもまた正義なのではないだろうか。

 「正義」とは何か。それを決めるのはとても難しいことだ。いわゆる悪人なんてそうはいないだろうし、何が真実で悪事にどう対応すればいいのかも分からない。誰かにとっての正義は、他の誰かには悪かもしれない。しかし国民が笑って平和に生活できるところ、そこには、ある共通の正義が存在することは間違いないと思う。私の夢は検察官になること。そしてその「正義」をみつけ実現することだ。

 正義を実現する、言うのは簡単だが実際に何かするのは難しい。しかし、あえて明言しよう。私は大人になったら正義を実現して罪を滅ぼすヒーローに必ずなる。今、ここにその決意を記す。


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