愛知県立岩倉総合高等学校 3年

渡 邉  綾 香
 

「過去の私を振り返って。」
 
 嫌いな言葉がある。

 私は、世間体という言葉が嫌いだ。使う人は善かれと思って使うのかもしれないが、どこか息苦しさを覚えてしまう。

 例えば誰かに『世間様の目がねェ』と言われたら、要するにその人が言わんとするのは『あなたの考えは普通じゃないのよ』と言うこと。だからといって何も他と違うことを、そんなひとくくりの言葉で表現しなくてもいいのに。

 中学3年の時に、自分の価値観を再認識する出来事があった。

 時期はちょうど志望校の選択で悩む頃。当時私は、普通科に進み、大学で勉強する自分を全く想像できなかった。変わりに、進路に合わせ興味関心に応じて自由に科目選択できる総合学科の仕組みにとても魅力を感じていた。

 でも、周囲の人たちは「大低の子は普通科に行くもんだよ」「大学に行かないなんて変わってるよね」と不思議そうな顔をして言ったものだった。どうやら周囲の人にとって、私は希有な存在だったらしい。結局、希望通りの学校に入学できたわけだが、思い起こせば、正直受験勉強よりも周囲の反応の方が辛かった。

 もちろん、後悔はない。

 もしあの時、他の人がこう言うからという理由で、周囲に流された進路選択をしていたなら、私はそんな選択しかできなかった私を心底不愉快に思っていたことだろう。私は思った。世間体という言葉の中に、当人の意思は果たしてあるのだろうか?私の意志がどうして「普通」の枠に埋め込まれなければならないのか!私は、私。いっそ後悔するなら、自分で決めたことに後悔したかった。

 意固地になって周りの助言をシャットアウトしていたわけではない。私にとって周囲の意見がどれほど貴重だったか知れない。両親、友人、先生など幅広い年齢層の人たちから、目の前で繰り広げられた様々な選択肢や可能性。時には私では思いつかないような物事の見方が一つのことを多角的に、そして冷静に見つめるのに大いに役立った。あらゆる情報を比較して考え抜いた末にたどりついた答えが、現在の私なのだ。世間体の枠にしばられなかった私が、ここにいる。

 『働くスタイルについてどう思いますか?』

 正解は「正社員として働くのが一番」となるのだろう。「世間」一般で言えば最善の選択かもしれない。でも、私個人の価値観としてはそうではない。

 必ずしも正規の社員でなくても良い。なんとなく決めたことでないなら、非正規社員もフリーターとしての働き方も、また一つの選択肢になりえると思う。大冒険なことかもしれない。

 でも本当にやりたいことならば、その人は理性的に考え、徹底的に調べ尽くすだろう。自分が決めたことへの責任を持つだろう。その人にしか分からない考えも時にはあるだろう。固い固い意志が本人にあるのなら、それは大切に守られなければならない。自分の信念を貫き通すことのできる強さは、何よりも素晴らしいことだと私は思う。

 人それぞれ色々な考え方がある。収入を得るための手段として働くことを捉える人もいれば、夢を叶えるための必要な資金のために働く人もいるだろう。私は、これから出会う人がどんな働き方のスタイルを持っていようと、何かの枠にはめて相手を評価したりはしない。3年前、私はそう心に決めた。

 卒業したら事務職に就きたいと思っている。高校生活で見つけた、私に向いていると思えた職だ。本番の9月まで精一杯練習をして備えたい。そして、社会人としての新たな一歩を踏み出したい。

 自立したいという目標のために私は働く。これが私の「働くスタイル」。

 社会に出たら、どんなスタイルを持って働く人たちと出会えるのだろう。私の知らない未知の世界が広がっているのだろうか。

 きっと、どれもが新鮮だ。

 想像すると今から楽しみで仕方ない。


[閉じる]