熊本県立水俣高等学校定時制 4年

真 野  将 孝
 

「鷹匠になりたい!」
 
 「動物に助けられている」私は小さい頃から動物が好きで、生まれてから身の回りに動物がいなかった時期はありませんでした。人と遊ぶよりも動物と遊んでいた方が楽しいと思っていた時期もあり、父親とよく山へ行き、山菜を採ったり、昆虫採集をしたりして遊んでいました。

 小学校低学年の時、いつものように山へ行くと、目の前に大きな鳥が現れ、急降下して姿を消しました。その時は、よく鳥のことを知らなかったのですが、あまりのかっこよさに大興奮。その日から動物の中でも、ワシやタカなどの「猛禽類」が私の一番のお気に入りになりました。

 その後、中学生になり、友人関係がうまくいかず、学校不信で不登校になり、ほとんど中学校へは登校することなく卒業を迎えました。この頃、私は相変わらず猛禽類が好きでテレビ番組で、「鷹匠」が出てくると集中して見入っていて、「鷹匠ってどうやったらなれるんだろう。」「鷹って飼育できるのかな。」というふうなことを毎日考え、インターネットでよく調べていました。

 よくよく調べた結果、鷹を飼育・調教するには種類にもよりますが、特に資格や役所への届けは必要なく、一般の人でもペットと同じ感覚で飼えることが分かりました。そこで親に頼みこみ、最初の鷹を購入しました。頑張って調教する毎日でしたが、なかなかうまくはいかず、いろいろな人から指導を受けました。それでもうまくはいきませんでしたが、今までにない楽しい生活を送っていました。

 周りからは、「鷹匠だけじゃ生活は無理だよ。ちゃんと高校だけは出た方がいいよ。」と言われ、学校不信は続いていましたが、一番競争率の低い地元の高校へ進学しました。しかし、目標のない高校生活が長続きするはずもなく、入学した年の2学期頃から授業に出なくなりました。

 学校も、鷹の調教もなかなかうまくはいかず、イライラする毎日でした。そんな時、近県の鷹匠と出会い、定期的に自宅へ指導を受けに行くようになりました。すると、今まで調子の悪かった鷹の調教がスムーズにいくようになり、成果も出せるようになりました。

 私の中でも意識が変わり「このままでは鷹に負けてしまう。」と思うようになり、1年、間隔を置いて、今、在籍している水俣高校定時制を受験することに決めました。入学後も普通の学校とは違う感覚に馴染むことができ、今でも問題無く、この高校に通っています。

 そんな頃、指導を受けた鷹匠さんと一緒に猛禽類を使用した「害鳥排除」のプランを聞かされ、参加することになりました。薬や銃器など使わず、害鳥を殺すことなく排除する方法は、鷹匠が仕事として認められている海外などでは一般的ですが、日本では前例が少なく、成功例をほとんど聞きません。

 鷹がしっかり調教できていなければ使い物にはならず、調子が悪ければ排除対象の害鳥に負け、怪我をすることもあります。

 自分だけではなく、言葉が話せないパートナーの鷹の調子も見なければならず、本当に難しい仕事だと思います。

 しかし、鷹匠の仕事は日本に前例がないこと、人の役に立ち、そして何より動物と一緒にできる仕事として、私は魅力を感じています。まだ、仕事数は少ないですが、少しずつ増えています。いずれは害鳥排除を専門に行える鷹匠になりたいと思っています。


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