清水国際高等学校 2年

山 本 ひかり
 

「紫色のワンピース」
 
 私の祖母は認知症である。最近では私のことが分からなくなってしまった。我が家が引っ越しをしたことから、祖母の介護施設が遠くなり、会う機会も少なくなっていった。しばらくして、家の近くに空きのある施設が見つかり、祖母もそこへ引っ越すことになった。

 祖母は昼食が終わってから1時間は安静にしていなければならないので、そのすきに部屋にあるものをすべて車へ運んだ。部屋には出発する時に着替えるため用意された、淡い紫色のワンピースと帽子だけが残った。以前、祖母が若かった時に自身で作ったワンピースである。

 私たちが控え室で待っていると、紫色を身にまとった祖母が、若い女の人に車イスを引かれてやってきた。その女性は、いつも笑顔で祖母をみてくれていた担当の水田さんである。施設を出る途中、祖母が突然「おぅおぅおお!」と声を出して目を見開いた。祖母には詳しい話をしていなかったのだが、きっと周りの雰囲気から、もうここには戻ってこないことを感じとったのだろう。

 祖母の声がすると、車イスが急に止まった。視線を祖母からはずして少し上を見ると、水田さんが涙を流していた。水田さんは私に気づくとすぐに涙をこらえ、また車イスを押し出した。

 車まで着くと、水田さんは祖母の前に座り、「はるこさん、最後にいい子いい子して。」と言った。それは祖母が不機嫌な時でも、水田さんがその頼み事をすると祖母が笑顔になり、水田さんの頭をなでているのを以前にも何度か見たことがある光景だった。同じように笑顔で水田さんの頭を2、3度なでた。後から知ったことだが、笑顔でなでてくれる祖母に水田さんも癒されていたようだ。

 その様子を見て私の頬を涙が伝った。こんなにも親身になって、祖母のことを思ってくれる人がいることを嬉しく思う気持ちと感謝する気持ち、祖母と水田さんとの間に深い絆があるのを知ったこと……いろいろな気持ちから自然と流れた涙だった。あの施設で祖母をお世話してもらって良かった、そう心から思えた。

 新しい施設についた時、「おばあちゃんはいい人に出会ったね。水田さんはおばあちゃんのこと大好きだったね。」と声をかけると、祖母は笑顔で「うん。」と言った。祖母は認知症である。それでも祖母は水田さんのことを忘れないだろう、そう思えた。水田さんにお世話になったのは祖母だけではない。

 私が祖母に会いに行った時、いつも笑顔だった水田さんは私の心も軽くした。私のことを忘れた祖母は、私に冷たくあたることも多かった。施設に行くことが苦しいと思えた私も、水田さんの笑顔に救われたのだ。

 笑顔は笑顔を誘い、気持ちを和らげ、周りの人も笑顔になる。不機嫌な祖母も水田さんが話しかければ笑顔になるように……。働いている時、笑顔でいることの大切さを学んだ気がした。

 「仕事」と一言で言っても、様々な形がある。しかし、それらの多くはやるべきことが決められていて、それに則って一日を過ごしていくものが多いと思う。例えば介護士という仕事を見てみると、行事などがある場合は別として、朝のラジオ体操、食事補助、排泄補助…一日のやるべきことがほとんど決まっていて、それを日々くり返していく。

 それは一見すると単純に思え、繰り返される日常は退屈に思える。

 しかし、どんな仕事でも決められた「仕事」という枠を超えて、一人一人が他と向き合い、人と出会い、仕事にやりがいや誇りを持って笑顔で働いていくことで、途端に素晴らしいものになると思う。働くことそれ自体をいかに楽しむかは自分の心次第なのだ。それができる人こそ、私の理想だと言える。


[閉じる]