岩手県立遠野緑峰高等学校 3年

菊 池  真 由
 

「希望が輝く未来へ」
 
 私が進路について考えるようになったのは、つい最近のことです。それまでの進路希望調査をずっと「未定」でやり過ごしてきた私が、進路と向き合うきっかけになったのが大好きな音楽です。ピアノが私の特技なので「保育士」を目指すことにしました。

 しかし、保育士になるためには専門学校に進学しなければならず、学費のことが気になって、なかなか親には打ち明けられませんでした。思い切って母に話すと、「子どもの数も減ってきているから働くところがあるか分からないし、あったとしても臨時職員じゃないかな。」と、言われました。母は親として、社会人として、現実社会の厳しさを教えてくれたのだと感謝する一方で、せっかく進学しても就職する場所がなければ、かけたお金も時間もすべてが無駄になってしまうのではないかと不安になりました。

 進路に対する答えが見つからずにいた休日のある日、私は子どもたちと遊ぶボランティア活動に参加し、大槌町の避難所を訪れました。被災地の様子はテレビでしか分からなかったので、自分の目で見て今起きている現実にしっかり向き合うと同時に、辛い思いをした子どもたちの力になれたらと思って参加を決めました。

 大槌町に着くと、海は目と鼻の先にあり、その綺麗な海とは対象的に、町は一面瓦礫と化していました。3月11日、あの大津波のせいでたくさんの家や命が一瞬にして消えた場所には、悲しみや恐怖しか残っていないと感じました。

 避難所に着くと、子どもたちとの接し方などの説明を受けてから、子どもたちのところへと案内されました。避難所の子どもたちは思っていたよりも元気で、想像していた被災者の姿ではなく、ごく普通の子どもたちにしか見えませんでした。

 その中でひとりの男の子が印象に残っています。年は5〜6歳でしょうか。何か話したそうに近寄って来たその子と目が合いました。「僕の宝物、津波で流されたんだあ。」と、ほかの子どもたちが決して口にしないことを突然言うのです。事前の説明で、「津波や地震の話は避けるように」と言われていたので、私はその言葉に驚きました。どう答えたらよいのか分からなくて戸惑っていると、「僕の宝物、何だと思う?」と続けて聞いてくるのです。返す言葉を見つけられず、黙ったままの私に、「僕の宝物は弟だよ。津波で流されたんだあ。」と打ち明けるのです。

 私より遥かに小さい子どもたちが、大切な家族を失う悲しみを受け止めなければならないという現実。いきなり突きつけられたあまりにも辛いこの現実に、私は耐えられませんでした。涙をこらえるのが精一杯で、同情や慰めの言葉をひとつも返してあげられない自分の無力さが悔しくなりました。

 地震がきて、津波がきて、火事まで起きて。大切な家族を失い、怖い思いや我慢をたくさんしてきた子どもたちと接して、私は本気で保育士になろうと決意しました。

 「辛い思いや悲しい思いをしている子どもたちのために、今やれることを今やろう。」

 私が今1番やりたいことは、保育士になって子どもたちの成長を見守りながら、命の大切さを伝えていくことです。

 子供支援の国際NGO、セーブ・ザ・チルドレンの調査結果によれば、被災地域の子供たちの約9割が「自分のまちのために、自分たちも何かしたい」と思っているそうです。

 私は今、「自分のふる里が、いつまでも人々の笑顔が続く場所であるように、未来を支える子どもたちの力になりたい」と考えています。そして、自分の弟というかけがえのない宝物を失った男の子に、新たな宝物をプレゼントできるような保育士を目指します。


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