宮城県農業高等学校 1年

相 澤  和 久
 

「明日への一歩」
 
 私は将来、“顔の見える農業”を行い、地域の皆さんに「美味しい」と言ってもらえるような野菜や米を作っていくこと、そしてその野菜を食べて沢山の笑顔が生まれるよう、農業に愛情を持って生産していくことが大きな夢です。夢への一歩として、私は宮城県農業高校に入りました。

 私の家は、名取市で稲作約4ha、野菜7a、ハウス4棟にわたり、約30種類の野菜や果樹を栽培している兼業農家です。私は幼稚園の頃から祖父や父と一緒に、つなぎ服を着て畑を耕したり、種まきをしたり、コンバインに乗って稲刈りをするなど、農業に時間を費やしてきました。鮮やかな緑に包まれた田園特有の風光は、まるで絵に描いたような輝きに満ちており、自然の恵みを至る所に感じることがでる景観が私は昔から好きでした。

 しかし――平成23年3月11日。マグニチュード9・0国内観測史上最大の地震は巨大な津波を引き起こし、各地の浜と街を呑み込みました。我が家の田んぼも今回の津波によってほとんどが流されてしまい、現在では米をつくることができません。また、名取市にある宮農校舎も、今回の津波によって、先輩方が育て上げた農業生産物を始め家畜や施設、畑など、全てが流され壊滅的な被害を受けました。宮農に入学したら、農業を基礎から勉強し、研究・実践しようと考えていた私にとって、この現実は受け入れがたい、とても悔しい出来事でした。

 私が農業に対して面白いと思う気持ち、いつしか夢を抱くようになったのは、父と祖父の影響を受けたからです。見よう見まねで始めた作物の栽培も、今では、自らの畑を持ち、土を耕し、収穫もできるようになりました。

 ある時、名取岩沼農業協同組合主催の2010ふるさと秋まつりの広告を見た私は、早速、農産物品評会に自分が作った農産物を出展することに決めました。自分が育てている農作物の中から「今年は柚子で挑戦!」。そう決めた私は栽培に更に力が入りました。

 「愛情がなければ美味しい野菜や果物は育たないんだぞ。」祖父から教わったこの言葉を常に心に、精一杯柚子の栽培管理を行いました。

 やがて収穫の時期を迎え、鮮やかな黄色い色をした柚子を手にした時は自分が育ててきたのだという喜びと達成感、満足感でいっぱいでした。そんな柚子はとても爽やかな香りを放ち、一度口にすれば酸味の中にも甘さが残る美味い柚子で、これまでの苦労を一掃してくれました。

 品評会当日、私の柚子は一般の部で銀賞を受賞することができました。真っ先に祖父に報告しました。祖父は満面の笑みを浮かべ「良がったなあ。」と褒めてくれました。その時、やはり「農業って面白い。もっともっと農業のことを知りたい!」心からそう思いました。

 私は将来、無農薬栽培に更に力を入れたいと考えています。環境との共生を考え、微生物が繁殖する良い土を作り、農薬を使わない健康な野菜を育てたいと考えています。

 そして銀賞をいただいた柚子を始め、自分の野菜や米の産直販売などを通して、より多くの地域の方々に食べてもらいたいのです。いえ、全国どこへ出しても恥ずかしくないような自慢の野菜に育てあげたいと思います。私が目指す顔の見える農業≠ェ、「美味しい」や「ありがとう」の笑顔を生み、農業の輪、地域の輪をさらに広げることができるきっかけになれば、これほど嬉しいことはありません。

 大震災発生から約3か月…。地域社会が受けた傷、人々の心に刻まれた痛みが容易に癒えることはありません。それでも私たちは立ち止まっているわけにはいきません。一歩、また一歩。私たちは再生につながる長い道のりを共に手を携えて踏み出していかなければならないのです。

 私の農業への気持ち、農業が好きだと言う気持ちが、今の自分の大きな原動力です。

 私は農業が大好きです!


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