岐阜県立恵那農業高等学校 3年

岡 山  広 輝
 

「目指すは笑顔を創る調理師」
 
 「うまい!!」「おいしい!!」この言葉が思わず口から出てしまった時、その人の心は幸せで満ちあふれ、自然と笑顔になっているでしょう。その幸せと笑顔を創り出した料理は、食べた人達の中で思い出となり、思い出す度に幸せや笑顔を与え続けてくれます。もし、私がそのような料理を作ることができたら……。そして、多くの人達に食べてもらい笑顔になってもらえたら……。そんな想像をするだけで、私はにやけてしまうほどに嬉しいのです。

 私の夢とは調理師になることです。私が調理師になろうと決意したのは、小学校5年生のころです。そのころから私は人を笑顔にするのが好きでした。しかし、私の父はあまり笑顔を見せることがなく、常にしかめっつらの様な顔をしていました。テレビでお笑い番組が流れていても一切笑いません。小さい頃の私にとっては鬼の様に恐しかった父なのです。そんな父も一緒に、家族で外食に出かけたことがありました。父はオムライスを頼みました。少し時間が経ち、父の頼んだオムライスが運ばれてきました。父はすぐにそのオムライスを食べました。その時、私には衝撃が走りました。しかめっつらの様な父が「うまい!!」と言って笑顔になったのです。あの笑わない鬼のような父が満面の笑みになっていたのです。私はそんな父の反応に驚いていました。食事が終わって帰宅してから私は考えました。鬼のような父でさえ笑顔にさせた料理なら、どんな人でも笑顔にできるのではないかと。みんなを笑顔にさせることが好きだった私は、その瞬間に料理を作る人になりたいと思ったのです。

 それからは、休日はオムライスを作ることに夢中になっていました。私の料理の先生は母でした。ご飯の炒め方や卵の焼き方など、一から学びました。最初の頃は卵がぐちゃぐちゃになってしまったり、焦げてしまったりと、オムライスとは程遠いものでした。しかし負けず嫌いでもあった私は、何度失敗してもオムライス作りを断念することは無く、「次こそうまいオムライスを作るぞ!!」と、更にオムライス作りに燃えていました。作ったら母と一緒に試食して、母から次の目標を教えてもらい、また次の休日に作るという日々が続きました。そして、ようやく満足のできるオムライスが出来たのは外食に行ってから3か月後のことでした。私はそのオムライスをはじめて父に渡し食べてもらったのです。これが初めて父に渡すオムライスなだけに、とても心配していました。しかし、そんな心配は父の「うまい!!」という言葉とともに消えました。父は笑顔になり、私も自然と笑顔になっていました。料理には不思議な力があると、もう一度感じた瞬間でした。

 それからはオムライス以外の料理も作り続ける日々が続きました。そして今の私は、恵那農業高校の食品科学科で食品について学びつつも、まだオムライスを作っています。高校卒業後は調理の専門学校に通い、将来は西洋料理のプロになりたいと思っています。そして、いつかは自分の店を持ちたいと考えています。小さい頃から作り続けているオムライスを主体とした店がいいです。そこで、多くの人の笑顔が生まれてくれれば嬉しいです。もし、自分の店を持つことができたなら、最初のお客さんは父に来てほしいです。


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