福島県立双葉高等学校 3年

遠 藤  ひとみ
 

「私の夢」
 
 私は希望をもって、夢に向かっていきたいと思います。夢を叶えるために、どんな困難があっても私は真っ直ぐに突き進もうと思います。

 私は福島県の富岡町に住んでいました。私は今回の東日本大震災に遇い、またそれによる東京電力の原発事故の被害も受け、避難して現在は会津地方に住んでいます。

 震災前、私は高校卒業後は就職をしようと思い、自分の生まれ育った富岡町で一生懸命働こうと考えていました。私は富岡町が大好きで、桜のトンネルや駅のつつじ、沢山の山々、暮らしている土地や人々がとても素晴らしく、ずっとこの地で生きていきたいと思っていました。

 しかし3月11日、東日本大震災が起きました。私たち富岡町民は次の日の朝には避難指示が出され、それ以来私はふるさとの地を踏んでいません。それから数日が経ち、原発事故により私たちは当分の間、町には帰ることができなくなりました。突然のふるさととの別れ。1週間くらいもすれば帰れるだろうと思っていた私にとって、その事実はあまりにもショックが大きすぎました。「これはきっと悪い夢に違いない」と私は何度も何度も頬をつねったり、頭を叩いたりしました。でもそれは現実で、私はこれからの将来が真っ暗になってしまいました。

 数日後、なんとなく気分が重く、もんもんとした気持ちでいた私や家族を父が集めました。そしてこう話しました。

「今回の地震や津波で亡くなった人は大勢いる。家族や親戚、友だちなど大切な人を亡くしてしまった人も沢山いるな。でもその中で俺たち家族は誰一人死ぬことなく、みんな無事に生きている。これは神様が俺たちは生きて、亡くなった人たちのぶんも生きて、この震災から立ち上がるように言っているんだ。だから、俺たちは前に進もう。」

 その言葉を聞き、私は目が覚めました。そして自分はなんて馬鹿なことを考えていたのかと思いました。もう先が真っ暗で、少しでも死にたいと思ってしまった自分。そんな自分がとても恥ずかしく思いました。生き残った私がすべきことは、精一杯生きることなんだと思いました。

 そこで、私は福島県の職員になりたいと思います。今回の震災で東北地方は大きな傷を負いました。そして私の生まれた福島県は今原発事故により、いまだに復興もままならない状態です。私が生まれた町で働くことは叶いませんが、せめて福島県で働きたいと思います。また、私や家族をはじめ、同じように被災した人々、福島県に住み人々のための力になりたいと、そう思います。

 そのために特に私は県の経済の安定に取り組みたいと思います。例えば、県に新たな企業を誘致するということです。震災により多くの企業がなくなり、また衰退している今、経済を安定させるには放射能除去に関する研究開発をする企業や、新エネルギーの研究開発をする企業などを集約することだと思います。私は一日も早い県民の生活安定のために働きたいです。

 私は一度はすべてをなくしました。住み慣れた町、住み慣れた家、思い出がいっぱいつまった品々、通い慣れた校舎。当たり前にそばにあったことが一度に消えてしまい、絶望の淵に落とされました。でも私は前向きに、私の夢に向かってめげずに頑張ろうと思います。福島県が、私の町が、また以前のように人々が笑顔で暮らせるように、私は一生懸命につくしていきたいと思います。


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