福島県立郡山高等学校 1年

増 子  光 希
 

「世界と生きる国連職員になる」
 
 私は福島で東日本大震災を体験した。そして、今なお続く放射能汚染に不安を感じてはいるものの、人々の温かい励ましを心の栄養にして福島で頑張って生きている。先日、途上国のスラム街の人々が私達のために募金する光景をテレビで見て、私は涙が溢れてきた。これは日本が今まで世界のために様々な国際協力を実行してきたことが評価され、それが感謝の行動として表れたのだと思った。そして世界と日本との絆を強く感じた。私の高校にもマレーシアから心温まるメッセージが届けられた。実際にこのような体験をして初めて、私は激励が勇気や元気を与えてくれることを実感した。そして、私は世界の人々の幸福を手助けする仕事に就きたいと改めて思った。

 私の夢は国連職員になることだ。貧困や差別で劣悪な環境にいる子供たちを救い、女性の地位向上を図り、全ての人々が未来に希望と夢を持つ社会を実現させたい。この夢を持つきっかけとなったのは米国にある国連本部を訪問し国連の様々な活動を知ったからである。

 活動のひとつに国連ミレニアム開発目標がある。だが各国政策の違いなのか未だ達成できていない。世界最高機関の国連が目標を達成できなくては、貧困にあえぐ人々を助けることはできないと私は思った。そしてその活動に携わる日本人国連職員が極端に少ないことを知り、日本が国際貢献する人材を輩出していない事実に日本人として失望感を味わった。そして私が国連職員になって世界の人々を助けたいと思った。しかし、国連職員になるためには大変な努力が必要なことも知った。

 国連職員には高度な専門性と語学力が求められる。大学院の修士や博士の資格を有し、グローバルな視野や専門的な知識を持ち社会で活躍していく必要がある。そして複数の語学に堪能で、その言語を駆使し世界の人々と対等に意見や議論を戦わせなくてはならない。シャイな気質で言語習得が不得意な傾向にある日本人には難しいと感じた。また、国連職員は期限付き契約雇用のため将来が不安定な職業である。そういった雇用基準が日本人には受け入れにくい点もあり、職員の増加に至っていないと考えられる。しかし、私は国連職員になることを諦めない。

 今回の震災で私は日本人の秩序ある行動や絆を持って前進する行動に深く感動した。私の地域でも、いつまでも落胆し嘆いてばかりいられないと、市民が土壌の放射能除去をするために“菜の花プロジェクト”を立ち上げ、放射能に負けず郷土の自然を取り戻す活動を懸命に行っている。支援を待つばかりでなく、みんなで知恵を出し合い現状を改善させる工夫をする、このような精神は世界に誇れるのではないだろうか。

 私はこの日本人の、いかなる時も「協力」する姿勢を途上国や紛争国の人々に身を持って示し、彼らを勇気づけ、彼らと希望ある国作りを一緒に推進していきたいと考えている。ユネスコ憲章前文には、「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」と記されている。私は“日本人の協力する精神”を世界の人々の心に広げ平和のとりでを築く手助けをしたい。

 私は今、夢実現のために英語科で英語を中心に勉学に励んでいる。国連職員になるための必須条件である世界の人々とのコミュニケーションツールを、より早く上達させることで国際社会に旅立つ心構えができると思っている。そして、私は必ず夢を叶え国連職員として紛争国に赴き“日本人の協力する精神”を広める活動を実践したい。しかし、そこには様々な困難が待ち受けていることだろう。けれど、今回の震災で多くの人の善意に救われた自分を思い出し、その国の人々と、その国にあった最良の「協力」方法を一緒に考え、希望を持って、みんなと頑張る自分がいると信じている。そして、「みんなが幸福になり、平和で未来に希望が持てる国になった。」と人々と喜び合い、談笑している自分が必ずいると信じている。


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