菊武ビジネス専門学校高等課程(愛知県) 3年

菊 池    真
 

「ボランティア体験記」
 
 私の住んでいる地域では、東日本大震災の被害は特に何もありませんでした。そんな私が大変な被害を受けた人への応援メッセージを書く。というのはおこがましいことかもしれませんが、ボランティア経験を交えての応援メッセージをつづりたいと思います。

 私が被災地に出発したのは5月1日。次の平日を除けば、ゴールデンウィークと重なって長い休みになるので、事前に学校に休みの許可を得て被災地に向かいました。

 ボランティア活動については、「ボランティアセンター」という、ボランティアとそれを必要とする人との仲介をするシステムがすでにできていたので、助けに向かって逆に迷惑を掛けるという最悪のパターンは避けられました。

 しかし、素人集団のボランティアに任される仕事はヘドロ出しや瓦礫の撤去などの簡単な、重機1台でもあれば済む仕事でした。危険な仕事は専門職の技術者や自衛隊員が必要というのが現状でした。田んぼの真ん中で車がひっくり返っていたり、海が見えないほど港から遠く離れた場所に船が転がっているのを見ても何の違和感も感じない「被災地」を前に私は無力だと感じました。

 しかし、私はもう一つのものを感じました。それは被災者の方々の心の強さです。ある家の泥だしのボランティアの最中で、重い土をスコップで掘り出し、一輪車で運ぶ作業につかれた私は、つい「ふぅ」と息を吐いてしまいました。それを見て家の主人は「大変でしょう」とねぎらいの言葉を言ってくれました。

 普段なら「ボランティアに来たくせに何だこいつは」と腹を立てても当然のはずです。しかし、家の主人は私の身を案じてくれたのでした。

 また、別の家でのボランティア活動の途中では、家の主人が差し入れとしてチョコレート菓子を私にくれました。袋を開けるとチョコの部分が溶けていました。そうです。彼らは津波に流されて冷蔵庫すらないのです。そんな人たちが、家に帰りさえすれば寝床や食べ物どころか、ゲーム機まである私のために差し入れを用意してくださったのです。私は心から感謝しました。

 また、ボランティアセンターのスタッフには、通う学校を失い、死の危険と隣り合わせになりながらなんとか避難できたという、私と同年代の学生もいました。彼らは決して諦めず、復興のためにできることをしていました。私が被災したら避難施設で寝てばかりの生活をしているかもしれません。しかし、彼らはそうではないのです。

 ボランティア活動として行った私が逆に勇気づけられた気がしました。彼らの、自己のためではなく周りの人のために尽くす心は、私の胸を強く打ちました。

 「絶対に沈まない」と言われたタイタニック号が沈み、「絶対に安全だ」と言われた原子力発電所が爆発した今では「絶対」という言葉に力はないかもしれません。しかし、私は、東北は絶対に復興すると思います。なぜなら、彼らは、他人を思いやる気持ちや団結力といったすばらしいものを持っているからです。


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