早稲田大学高等学院(東京都) 3年

坂 本    泰
 

「いのちの仕事」
 
 「なあ、仕事のやりがいって何だと思う?」

 幼い頃の夢はプロ野球選手、そんな幼なじみも、今では塗装職人がすっかり板についた。中学校に通っていた頃の頼りなさは最早見る影もない。私の知っていた泥臭い野球小僧は、今ではペンキの匂いのする頼りがいのある大人の男になっていた。

 彼と初めて出会ったのは小学校2年の秋だった。運動神経も人柄も良いその転入生は、すぐにクラスの人気者になった。席が前後だったとか、帰り道が一緒だったとかそんな理由で、私達が仲良くなるのに時間はかからなかった。中学校も近くの公立中学校に一緒に入学した。中学校の野球部で目まぐるしい活躍をしていた彼は、スポーツの推薦で私立の名門スポーツ高校に入学した。しかし、高校2年の春、彼は高校を中退した。中学2年生の頃から付き合っていた彼女が妊娠したことが原因だった。

 「おれは父親になる。」

そう言って彼は高校中退後すぐに、先輩の紹介で塗装の仕事を始めた。誰よりも真面目な男だから、仕事は順調だった。何もかも上手くいくと、そう思えた。しかし現実は残酷だった。流産。彼のまだ見ぬ子どもは、父より早くに他界した。彼の仕事のやりがいは瞬く間に消えてなくなった。それでも彼は、涙と寝不足で目を腫らしながら不器用に笑った。

 「ここでおれがへたれたら、天国で子どもに合わせる顔がねえ。」

 私には、将来の夢がない。彼を見ていると、自分が情けなくなってくる。目標も、志も持たずに居る今の自分に恥を感じる。恵まれた環境に甘えているばかりで、自分から何かをしようとする度胸も根性もないのだ。周りの大人を見ていて、仕事は大変で、辛いものなのだろうと思うと、やはり自分の将来に対しての不安がこみ上げてくるのだ。大人と子どものちょうど中間の地点に居る今、まさしく私は五里霧中なのだ。私は、彼の様に生きることが果たして出来るだろうか。

 「なあ、仕事のやりがいって何だと思う?」

 つい先日、ペンキで汚れた作業着姿のその男は、私に尋ねた。私は、「さっぱり」といった様子で首を斜めにした。

 「学歴社会だなんだって言うもんだから、周りには馬鹿にされているんだ。正直、肩身の狭い思いをすることだってある。でも、それでも良いと思うんだ。たとえ百人に馬鹿にされたって、どんなに肩身が狭くたって、誰か一人にでも誇れればそれで良い。それが他人じゃなくても。」

 彼は「父親になる」と決めたその時から、自分に、自分の息子に誇れる様な「父親」を目指してきたのだ。彼の言う「仕事のやりがい」を私は自身の事として経験したことはまだない。それを将来感じることが出来るかもわからない。

 しかし少なくとも、そうして生きていく「仕事」の在り方を、私は彼に教わったのである。背負っているものも違う。考え方も、きっと違う。将来する仕事だって、きっと違うだろう。それでも私は確かに、その時から思っている。前言を撤回する。私には、夢がある。私は、未だ見ぬ「誰か」に誇れる仕事を、将来していきたいと思う。


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