早稲田実業学校高等部(東京都) 2年

本 橋  り の
 

「職業体験で学んだことを生かして」
 
 額に汗が伝う。アスファルトから照り返す日差しが眩しい。

 「え?僕が売るんですか?」

収穫の仕事を終えたかと思うと、すぐに料金箱を手渡される。中学生は驚いて聞き返した。

 「売らなければ、ただの家庭菜園だからね。」

 父は笑ってそう答えながら販売用のテーブルを道路際に置いた。

 我が家は4〜5年前から職業体験の生徒を受け入れている果樹農家だ。ブドウや梨のほかに、野菜も産直で販売している。体験しに来たその中学生たちは、自分で体験先を探すところから始め、電車で1時間かけて通ってきていた。

 「農業体験」といって皆が思い浮かべるのは収穫や、種まき、水やり、草むしりなどだろう。体験に来ていた中学生も、まさか販売を含めての職業体験だとは思っていなかったらしい。

 袋詰めした野菜を前に「これなんて名前のトマト?」とお客さんに聞かれて、戸惑う場面もあった。販売前に、商品の名前を知っておく必要があると彼らは学んでいるようだった。そしてその後、父の元に走ってきて「アイコ」というトマトの名前を聞き、メモをとった。次の日には「トマト(アイコ)百円」という可愛らしいポスターを作っていた。

 私も中学生の頃に、保育園に職業体験に行った。子供が好きな私にぴったりの職業だと思ったのだ。

 しかし、実際に体験してみると我が家に来た中学生達と同じで、保育士という仕事の一部分しか見えていないことがよく分かった。それまで保育園の先生とは、園児と歌ったり遊んだりするものだと思っていたが、実際にはそれだけではない。子供達が帰った後に親御さんからのお手紙の返事を書いたり、行事の準備をしたり、子供達と接する時間以外の仕事も多かった。これらは、体験しなければ分からなかったことだ。

 また、お迎えの時間に親御さんの話をじっくり聞く先生方の姿をよく目にした。話しを聞くということは一見、受け身のようだが(真剣に聞こう)と心がけることは、とても能動的な行為である。私もそれから、話すことより聞くことを意識するようになった。

 そして一番驚いたのが、職業体験を終えた何か月か後。体験に行った保育園の園児と偶然会ったときに「お姉ちゃん先生だ!」と呼ばれたことだ。短い期間だったのに、私のことを覚えてくれていたのをとても嬉しく感じた。さらに、それ以上に体験生であろうと園児にとっては「先生」なのだ、と改めて責任重大な仕事をしていたことに気がついた。だからこそ、私も保育園での経験をこれから生かしていかなければいけないのだと強く思った。

 私の通学路の途中にも保育園がある。園児達が元気に走りまわっている姿は当たり前のことのようだが、それは周りにいる多くの人の支えがあってのことだ。見えない部分の苦労や努力があって初めて、子供達は伸び伸びと成長することができる。私もその成長を支える一人になりたい。

 私は、子供向けの番組の放送作家や、小学校の先生など子供にかかわる仕事を目指している。わずかでも、この仕事にかかわることはないかと思い、この夏は劇場に行く子供の引率をボランティアで引き受けた。これも、自分から体験場所を探し、我が家にやってきた中学生達から受けた影響のひとつだ。

 好きな仕事で夢を叶えるために、私は積極的に行動したい。そして、思っていたことと違う面を見つけたとしても、あの体験生達のように工夫して楽しむ力をつけていきたい。「縁の下の力持ち」として、決して目立つことはなくとも確かに誰かを支えている。そういう仕事ができるよう今、目の前にある一つ一つの壁を乗り越えていこうと決めている。


[閉じる]