大阪情報コンピュータ高等専修学校 3年

児 玉  幸 子
 

だから私は今日も文字を綴る
 
 私は将来、文に携わる仕事に就きたいと思っています。文を書くことが大好きで、授業中に文を書いていて注意されたこともありました。

 そんなある日、友達に「どうしてそんなに文を書けるの?」と問われ、私は、ふと文を書き始めたきっかけを思い出すべく、少し遠い記憶を呼び起こしました。あれは十年以上前のことです―――。

 幼い頃の私は本を読むことが大好きな子供でした。頭が固く、変に真面目な私は「人の話は最後までちゃんと聞く」という親の教えを守り、会話に割り込む癖を持っている妹が話終えるまで、開いていた口を固く閉ざすことを続けて数年。気付けば私は自分の意見を口にすることを酷く困難に感じるようになっていました。悲しいことなど何もないはずなのに、いざ口にすると涙が溢れて止まらないのです。

 長女の本能でしょうか。「母に甘える妹の間に入ってはいけない」と、いつも我慢をしていました。その反動か、高校生になった今も“いつもありがとう”の一言さえ、生まれながらの不器用さも手伝ってうまく自分の気持ちを伝えることができません。一番伝えたい母を前にすると、涙が止まらなくなることもしょっちゅうでした。きっと母からすれば驚き以外の何物でもなかったと思います。母からはいつも「そんなにキツく言ってないでしょ」と呆れられ、その度に自身の思いすら口にできない自分を呪っていました。

 今思えば私にとって文字は意思表示の一つなのだと思います。

 自分の考えや思いを音にすることができず、悔しく思う度に文字を書く。その繰り返しのおかげで私は文を書くのが得意なのだと思います。

 小さい頃から、人とのコミュニケーションをとることが苦手だった私の世界を広げてくれたのは本でした。

 空を舞う竜は火を噴き、異世界から召喚された選ばれし勇者は剣を振りかざす。現実ではありえない話も、物語の中でなら全て許されます。紙上に印刷された黒いインクが私の世界を広げてくれたのです。それは、殻に閉じこもった私の世界に色が付き始めた瞬間でした。

 年を経て―――。大きくなった私は、ある日、文章の素晴らしさに気付きました。文は誰もが書けるものです。そして人々に夢を与えるだけでなく、笑いや涙といった感情も分け与えてくれます。それはとても凄いことだと私は思いました。

 けれど、それは決して簡単なことではないことも同時に気付いてしまいました。何かを見て笑ったり、涙するのは、その作品に共感しないとできないことです。つまり、読み手の心を掴まなければ、その人を笑顔にすることも胸を温かくさせることもできないのです。

 この世の中には沢山の作品が存在します。私は、その作り手である、顔も知らない人たちに作品を通して尊敬と憧れの念を抱くようになりました。

 いつも私の代わりに思いを届けてくれた文字たち。私と一緒に育ってきた文たち。

 「―――いつか、私も」

 そう思うようになったのがいつからかは分かりません。けれど意思表示の手段が夢への手がかりに切り替わったのです。一つ分かっているのは、私は自分が書いた文を読んでくれた人に感動や笑顔を届けたくなったのです。

 今の私は色んな面でまだまだ未熟だと思います。文学の面だけでなく精神面でも、まだまだ未熟です。けれど日々精進し自分の夢を追い、それに向けて沢山の知識と経験を積み、新しい発見を沢山して。そしていつか、幼い頃、自分に世界を与えてくれた、あの本たちのように私も沢山の人に何かを与えることができる文を書けると信じて、私は今日も頑張ります。

 そして将来、自分の文にもっと自信を持てるようになったその時は―――。

 自分から母に作品を見せたいです。「これが、私が書いた作品だよ」と胸を大きく張り、そして自分の口で、今まで言うことができなかった“私が生まれてきてから、これまで溜まりに溜まった感謝の気持ち”を泣くことなく伝えるのだと、そう、この文章と心に強く誓います。


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