大阪府立門真なみはや高等学校 3年

山 崎  志 雄(しおん)
 

つらかったからこそ気づけた
 
 今思えば、あの体験があったからこそ今の自分があり、夢を持てたんだと思う。

 僕は先天性のアトピー性皮膚炎という病気を持って生まれてきた。顔も知らない父は、その病気を気持ちわるいと言い、赤ん坊の頃の僕を抱き上げることはおろか、指一本すら触れなかったと母から聞いた。ちょうど小学5年生の時で「あんたのことが大切やったからお父さんとは別れた」と母は言っていたが、当時は別の悩みもあり、自分のせいで別れさせてしまったと思って苦しんだこともあった。

 先ほど書いた別の悩みは、入学した時から続くいじめだった。子供は素直ゆえに時としてとても残酷であることを身をもって知った。保育園に行っていた時の知り合いは全くいない所で、誰にも話しかけられずにいた。周りが大きく変わったのは体育の着替えの時からだ。体にある症状を見て、こいつは自分たちとは違うと思ったのか、「こいつは宇宙人や。宇宙人は死ね」と誰かが言ったのを皮切りに、死ねコールが教室中に響いた。成長するにつれて、いじめはどんどん陰湿になっていった。物が無くなって校舎裏やゴミ箱から出て来るなんて当たり前。先生の目を盗んで暴力をふるうことも当たり前という生活が続いていた。

 そんな僕が学校に行ってうれしい瞬間だったのは、先生の手伝いをした後だった。最初は先生に頼まれてちょっとしたことを手伝った後、「ありがとう」と笑顔で言われて、心の奥が温かくなった。それからは、自分から周りを見て動いて積極的に手伝いをするようになった。ただ、同級生のことで何かを手伝ったりすると「気持ちわるいからどっか行け」と言われることも多かった。でも、自分では、人の手伝いをできたことで良しとなっていた。この時に、誰かの役に立てる仕事がしたいという大体の夢ができた。

 夢を決めるもう一つのきっかけは、小学校のある取り組みだった。

 それは、同じ地区に住む障がいを持った子と触れ合うというものだった。低学年の頃はその子と遊ぶだけだったが、4年生の時にその子のお母さんが話をしてくれた。その子が生まれた後のこと、育てていく中での苦悩、それをどう解決したか、2人目を産む不安などを涙ながらに話してくれた。そして、ある本を置いていってくれた。本の題名は「光とともに…」といった。その本も障がいを持った子の話だった。それを読んで、福祉の職に就きたいと思った。

 今の高校に入ったのも福祉エリアがあったからで、その中の取り組みでボランティアにも何度か行った。そこは、高校生までしか行けない所で、卒業してからのことは分からなかった。そして、そこで行われた卒業式を見て、「これからこの子たちはどうなっていくんやろう?僕はこういう人たちの先をサポートしたいんや」と思い、今では障がい者施設で働くことを夢みている。

 今まで、つらい経験をたくさんしてきた。泣きじゃくって眠れない夜もあった。でも、その日々があったから「ありがとう」という言葉の温かさを知り、誇りを持てる夢を見つけられたのだと思う。これから先もいろいろなことを経験していくと思うけれど、そのすべてを自らの糧にしてこれからも頑張っていきたい。


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