群馬県立伊勢崎興陽高等学校 3年

関 根  巳 鈴
 

命のリレー
 
 私の将来の夢は、明るく元気でたくさんの人に笑顔をわけることのできる看護師になることです。小さな頃からの夢ですが、「絶対に看護師になりたい。」と思うようになったきっかけは、祖父の病気でした。

 私の祖父は、とても優しい人です。祖母や家族のことをいつも一番に考え、自分のことは後回し、少し頑固な所もありますが、私はそんな祖父が幼い頃から大好きでした。そして、祖父は、私の幼い頃からの看護師になるという夢を人一倍応援してくれていました。

 小学生の頃は、母が夜勤をしていたこともあり、休日は毎週のように祖父母の家に泊まりに行っていました。勉強を教えてくれたり早起きして朝日を見に散歩に出掛けたり、ラジオ体操をしたり。たわいもないことが、今となってはいい思い出になっています。

 そんな祖父に異常が現れたのは、私が中学1年生の頃。部活で忙しく、なかなか会いに行けなくなった時でした。久しぶりに会う祖父は、めずらしく私たちに「背中が痛くてどうにもならない。」と弱音を言ってきました。病院で詳しく検査してみると、悪性のガンが見つかり即入院。かなり進行していると聞いたときは、本当にショックでした。自分のことは何でも後回しの祖父。その優しさゆえに、きっと辛い痛みをずっとずっと我慢していたのだと思います。

 私が病院にお見舞いに行くと、「頑張っているよ。巳鈴も頑張っているかい。」といつも言う祖父。その顔は、いつもより悲しそうに見えました。会いに行くたび笑顔が減り、腕に刺さる点滴が増え、その姿を見るたび、辛くなりました。「私には何もできない」。そう毎日のように、思い考えていました。

 中学2年生になった頃、祖父は退院しました。自宅で残された日々を過ごしたいという祖父と家族の希望からです。母も祖母も祖父を一生懸命支えました。会うたび弱っていく祖父。話をするのも大変になっていきました。それでも毎回、「勉強はどうだい。部活は上手くいっているかい。」といつも私のことを気にかけてくれました。そんなある日、祖父が「命のリレー」を教えてくれました。

 「人は命のリレーをして生きている。バトンを受け取り生まれ、そのバトンを受け渡し、いつかは死んでいく。自分が受け取ったバトンは、絶対に自ら放棄してはいけない。年を取った順番に寿命が来る。だから親より先に死んじゃだめだよ。」と。私は「もっと自分を大切にしよう。一生懸命毎日を生きよう」と思うようになりました。次に会ったとき、祖父は話すことができなくなっていました。その2日後、祖父は亡くなりました。

 世の中には、元気な人、病気を抱えた人、障がいを持つ人、物資や食べ物の不足に苦しむ国の人々、さまざまな状態の中で生きている人がいます。でもその一人一人が、命のバトンを受け取り、毎日を生きています。生きていれば辛いこともありますが、それでもバトンを受け取り、生きている今日を大切にしなければいけないと思います。

 過ぎ去った日々は戻ってこない、未来はどうなるか分からない、だからこそ、今ある命を精一杯生きて、楽しく充実した日々を過ごしていくことが大切なのではないでしょうか。「念を入れる」の「念」は、「今」の「心」と書きますが、まさに、今、目の前にいる人たちや目の前の物事を大切にしていく、自分の命も、人の命も大切にできる、私はそんな人間になりたいと考えています。

 私はいつか、祖父のように、病気と闘い笑顔をなくしてしまった方に笑顔をわけたり、辛いとき側にいて少しでも力になれる看護師になりたいと思っています。医療ケアはもちろんですが、患者様の心のケア、家族の心のケアもできる看護師になりたいです。そして祖父が教えてくれたことを教訓に、毎日を笑顔で生きていきたいと思います。

 命のリレーを教えてくれたおじいちゃん、ありがとう。


[閉じる]