平安女学院高等学校(京都府) 3年

奥 野  彰 子
 

感謝であふれる職業
 
 私には、理想としている職業がある。それは何かというと自衛官である。

 正直、最初は自衛官並びに自衛隊のことはあまり知らなかった。ただ、教科書で習った通りの日本の独立と平和を守る組織ということだけが、私の自衛隊に対するイメージだった。

 しかし、この間起きた東日本大震災で彼らはそれ以上の行いをしているのだと気づいた。

 それは、1枚の写真を見てからだった。自衛隊の人が津波のせいだろうか、水が膝まできているのに一人のお年寄りを背負っている写真だった。なぜか分からないけど私の中でグッときた。そして、自衛隊の働きが気になっていろいろ調べてみた。結論から言うと、彼らの評価は「ありがとう」であふれていた。何より一番感動したのは彼らは人を助けるだけではなく、津波などによって流されたその人の思い出となるもの、例えばアルバムやトロフィーなどを拾い、その持ち主、又は遺族のところへ届けていたのだ。

 思い出を受けとった人は、どんな気持ちだったのだろうか。家を仕事を、友を家族を流されている中で、渡された思い出の品。その人の心には何かを感じただろう。その何かは、人によって違うだろう。しかし、多くの人は希望を感じたと私は考える。

 つまり、自衛隊の方達は多くの人に希望を送り届けたのである。自衛隊の方達は、日本だけで活やくしているわけではない。そして、海外でも彼らは希望を与えている。

 「感謝デモ」という言葉を聞いたことがあるだろうか。この感謝デモ、実は自衛隊に向けて行われたものである。

 場所は、イラクのサマーワ。戦争で荒れはてた国を自衛隊や多国籍軍で復興するというものであった。

 しかし、戦争中で危険な状況のため、他の国の兵士は自分の国の国旗を目立つ所につけなかった。しかし、彼らは日本の国旗を目立つところにつけた。

 他の国の兵士が自衛官に聞いた。「そんな目立つ所につけて、まるで撃ってくれといわんばかりだ。」すると、自衛官は笑顔で答えた。  「日本のことを知ってほしいんだ。」

 彼らはまず、現地の人々を救援している、してもらっている関係ではなく、友人になろうとした。そのため、彼らは現地の人々と一緒に汗だくになって仕事をして、休憩時間になると会話本を片手に談話した。

 そのためか、お互いの仲は縮まった。それを根拠づけるものとしてこんな話がある。

 イラク人は、仕事の途中であっても4時には帰ってしまう。これは、気温がとても高くなる時間帯なので仕方はない。しかし日本人と作業をしているイラク人は何と終業時間の5時になっても帰らなかった。

 このように、現地の人々と友人関係を築いたが、実は自衛隊の基地にシャトルが撃ちこまれたことがあり、「基地を守ろう。」と現地の人々が基地につめかけ1400人が集まった。これが、感謝デモである。実はこのデモは2回行われている。

 私がこれらのことを知ったのはすべてネットである。そして、自衛隊の仕事はテレビではあまり放送されない。だからだろうか、自衛隊を批判する人達が日本でもイラクでもいた。その人達の言い分としては、彼らはただの軍隊である、というものだ。

 しかし、ただの軍隊なのだろうか。たしかに彼らは武器を持っている。しかし、ただの軍隊が思い出の品を瓦礫から取りだすだろうか、ただの軍隊が感謝デモを人々から受けるだろうか。何より彼らは、命を奪っていない。救っているのだ。

 自衛官が日本の独立と平和を守り、また希望を届けてくれたり、海外では友人として現地の人々と一緒になって働いている。そして何よりいろんな人の「ありがとう」に包まれている自衛官が、私にとっての理想の職業である。


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