安城生活福祉高等専修学校(愛知県)
2年

岩 月  志 帆
 

私の目指すもの
 
 「わ・た・し?」

 「のっぺらぼうだー!!」

 「キャー」

 このセリフは私が小学6年生の時に演じた「学校の裏山に…」というオリジナルの人形劇のセリフです。小学生の気の強い女の子としっかり者の女の子、弱虫な男の子の3人が、お化けがいると言われている裏山に入って冒険するというお話です。当時私は、弱虫な男の子を演じました。この時、のっぺらぼうを演じていた女の子は、ダウン症という知的障がいをもっていました。この子との出会いがなければ、私は福祉の道に進もうと考えなかっただろうと思います。

 その子のことを私は「すーちゃん」と呼んでいました。すーちゃんは私の1つ年下で、今年は高校1年生になりました。ダウン症とは、常染色体異常によって生じる知的障がいのことです。私は、小学2年生の頃から5年間人形劇をやりました。すーちゃんとは3・4年一緒に演じました。しかし、彼女が障がい者であることを知ったのは小6の時でした。彼女のお母さんが学校で特別授業を行ったからです。その時まで私は、すーちゃんが障がい者だと全く知りませんでした。一緒にいて、可愛くって、明るい彼女が、障がい者だとは思っていなかったのです。

 すーちゃんとは人形劇以外でも縁がありました。

 小6の時にやっていた飼育委員で同じ委員会だったり、週に1回あるクラブで、同じバトンクラブをやったりしました。その時は、よく2人でじゃれたりして遊んでいました。でも、障がい者であると知った時、私はどう接したらいいのか分からなくなりました。今まで、自分達と同じ人間。発音が悪かったり、他の人と顔が少し違うのは個性だと思っていたのに、障がい者と分かって「少しは遠慮した方がいいんじゃないか?」とか、「手助けした方がいいんじゃないか?」と考え込むようになってしまいました。しかし、一つの答えが自分の中で出ました。

 「今まで通り接しよう。障がいを個性と受け止め、出来ることはやってもらう。出来ないことは出来るようにサポートしよう。」

 そう思いました。障がいを単なる個性として、全て放っておくなんてことは絶対してはいけない。受け止め、それをどう生かしていくか。どうすればいいかを、一緒に立ち止まって考えていくのも、良いのではないかと思います。

 中学生になって、会う機会がかなり減ってしまいましたが、すーちゃんは私を忘れてはいませんでした。会えば手を振り、私に読んで欲しい本を勧めてきたり、一緒にじゃれあいながら下校したり。とても楽しかったです。いつしか、「障がい者を手助けする仕事をしたい」と思うようになりました。

 たくさんの人に知って欲しい。

 「障がい者だってこんな良い面があるんだよ」と。

 「私達みたいに得意、不得意があるんだよ」と。

 「障がいがある」という偏見的な目で見るのはできればやめてほしい。そのためにも、自分が変わらなければなと思いました。でも、絶対忘れたくないのは、

 「出来ることはやってもらい、出来ないことは出来るようにサポートする。」

 「障がい者だって良い面が絶対ある。」

 「障がい者を手助けする仕事をしたい。」

 この3つです。この3つを胸に刻み、今は専修学校で福祉の勉強をしています。障がい者に関わる仕事に就きたいから。特に、知的障がい者の人達の手助けをしたい。一緒に歩いていきたい。一緒に考えたい。どうすれば上手くいくのか。どうすれば解決するのか。上から目線ではなく、同じ目線で接し、一緒に考える。そして出来るようにサポートする。そして障がい者の方を笑顔にしたい。

 私の目指すものは、障がい者を弱く、不安定な存在として受け入れるのではなく、私達と同じ人間として受け止め、同じ目線になることです。


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