福島県立会津高等学校 2年

杉 原  輝 俊
 

私にできること 〜夢から夢へ〜
 
 私の将来の志望、それは故郷福島で医療に携わっていくことです。

 福島はこれからが本当の復興というところですが、他の被災県とは異なり、その過程に放射線量の問題や除去作業、風評被害などの数々の壁が立ち塞がり、とても険しい道のりです。そして、その放射能汚染は変わらず、テレビでは空間放射線量の発表されることが日常の一風景となっています。一部の自治体では、児童は屋内施設でしか安心して遊ぶことが出来ません。そして、福島県民、特に未成年の被曝量は大したものではないと言われているものの、蓄積する内部被曝も含め、20年後や30年後の被害は未だ不透明なままです。だからこそ、これからの福島は世界が注目するであろう放射線被害に関連する医療の拠点や発信地に私達若い世代がしていく必要があります。

 私は今でこそ健康ですが、幼少期はよく風邪を悪化させ、病院に多々連れていかれました。かかり付けの医師には、また来たね、と苦笑されることがありました。点滴をすることも多く、顔見知りになった看護師には「点滴のプロ」と冷やかされることもありました。中学時代には急に喘息で長距離走などが出来なくなり、栄養失調とも診断されたこともあります。この中で様々な医師と出会い、「医師だけにできること」に気づき、将来は医療に関わっていくという憧れを抱いたのです。これが、私が医学を志したそもそものきっかけでした。

 そして、福島の現状、それは非常に厳しいものです。しかし、今の私に何が出来るのでしょうか。私達の健康や生活を守るために様々な取り組みがされている最中で、かつてマリーゴールドが一面に咲き誇っていた故郷の思い出の花壇は潰され、代わりに放射線量計が鎮座していました。私はそれを、ただ後から気付くばかり…。父には、放射能汚染の可能性がある山菜の摂取を私がまだ「未成年」であるから控えるべきと指摘されています。これらは一見、仕方のないことのように思われるかもしれませんが、私にとっては非常に悔しく、自分の非力を呪う程のものです。

 加えて、放射線被害、特に影響を受けやすい子供の被害は未知数である部分も多いようです。もし、健康だった子供達が放射線による癌や震災後からのストレスによる疾患に突然なってしまったら…。家族や本人はどんなに絶望を感じるでしょう。放射線被害ではないものの、前述の通り、中学時代に急な病気のため出来ていたことが出来なくなった悔しさで泣いた日々を経験した私であるからこそ、それを危惧しています。ずっと抱いていた医学の道を進むという将来の目標に対して、3・11によって、今まで以上に思いが強まっているのです。

 復興の要は若い私達であると言われています。つまり、現状のままでは、放射能汚染とは長い長い付き合いとなるでしょう。ひょっとすると、本当の復興というものを支えるのは私達の子孫の代であるかもしれません。そのためにも、将来、私は「私にできること」をしていきたいと考えています。それはつまり、医療に従事していく、特に未来を支えていくべき次世代の子供達の健康を私も精一杯守っていくことです。それは、私の夢だけで完結してしまうことではありません。私の「夢」である医療の立場から、未来の子供達の多彩な「夢」の灯を消さないよう、そっと後押しすることにつながるのですから。


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