鹿児島県立市来農芸高等学校 3年

山 野  尋 弘
 

おもてなしの心で見送りたい
 
 「また人が死んだみたいだぞ。お前の家は大変だよな。」と、友達から声をかけられることがありました。その度に、私は嫌な気持ちになりました。

 我が家は、屋久島で葬儀屋をしています。周囲の人は葬儀屋の仕事は暗くて重苦しいという印象を持ち、特別な仕事として見ているのです。そのために幼い頃は両親の仕事のことに触れられると、隠してしまいたいという自分がいました。葬儀はいつも突然入ります。すると、通夜や葬儀の準備のために両親とも自宅にいない日や、帰宅が深夜になることが多いのです。兄弟で寂しい夜を過ごしたことが何回あったでしょうか。我が家は、なぜ葬儀屋なんだろうかと考えることがよくありました。しかし、友達からの一言が私の考えを変えてくれました。

 「お前の家の葬儀は良かったよ。ありがとうな。」と言われたのです。私は驚きました。亡くなった人を扱う仕事をしていて何が楽しいのかと考えていた私にとって、このような言葉をかけられるとは思ってもいなかったのです。私の両親は人に感謝される仕事をしているのだということに気付かされた瞬間でした。

 そして、中学生になった私は両親の仕事に興味を持ち始めました。ある時、母から葬儀の手伝いの願いがありました。あいにく父が不在で人手が足りず、兄と私で手伝いをしました。その時に初めて亡くなった人を見ました。顔は白くて血の気がなく、口が開いたままでした。一目で死んでいるとわかりました。しかも耳や鼻には綿が詰めてありました。ご遺体を運んだ時に重いと感じました。あまり太った方ではないのですが、なぜか重いのです。手伝いを終えた私は、人の死という意味を深く考えさせられました。

 高校2年になり、私は職場体験学習先として迷わず葬儀屋を選びました。体験初日から葬儀が入り、準備に取りかかりました。葬儀屋の方が勉強になるからと言って、ご遺族の方々との打ち合わせにも参加させていただきました。2日目は本通夜の準備をしました。昼になり、目を見張ることが起きました。花屋が来て、手際よく祭壇に花を飾ったことです。我が家では両親が祭壇に花を飾るために、他の業者が来て花を飾っていくのを見るのは初めてで興味がわきました。ピンポン菊を多く使って、亡くなった方の写真の周りをまるで波をイメージさせるように飾っていきました。花を装飾する技術に魅了され、ただ見とれるだけでした。

 体験3日目は、葬儀でした。私はその葬儀にも立ち会いました。その後、葬儀屋の方と一緒に火葬場にも同行し、しかも火葬している裏側を見せてもらいました。見ている時に、いきなりかまどから「パンッ」と大きな音が鳴りました。今のは何ですかと尋ねると、「亡くなった方の体の中に埋め込んであったペースメーカーが爆発した音だよ。」と教えてくれました。その後、棺桶作りや幕はりの練習も体験し、5日間の職場体験を終えました。

 この5日間は、私の生き方を考える貴重な時間となりました。また初めて体験することが多く葬儀屋としての奥の深さを感じました。

 職場体験の前までは、卒業後すぐに我が家の葬儀屋を継ごうと思っていました。しかし、体験を通して、私が葬儀屋を継ぐにはまだまだ考えや技術が足りないことに気づかされました。そこで、今は、親元を離れて葬儀の花を扱う仕事をすることで装飾の技術を磨こうと決めています。葬儀屋で見た花屋のような技と技術を早く習得し、亡くなった方との最後の別れを、私にできる最大のおもてなしの心で見送るようにしたい、いや、させていただきたいと思っています。そして、両親のように葬儀の準備から設営、運営まですべてをこなすことができ、多くの方々に喜んでもらえるような葬儀屋を目指していきます。


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