近畿大学附属新宮高等学校 3年

稲 葉  莉 帆
 

瓦礫の中に見つけた夢
 
 東日本大震災が発生した同じ年、もう一つ大きな災害が発生していたことを一体どれだけの人が覚えているのだろうか。

 2011年9月4日──。私が住む地域を猛烈な台風が襲った。いわゆる紀伊半島大水害である。辺りは一晩で瓦礫や泥水、流されてきた木や岩で埋め尽くされていた。仲の良かった友人や後輩も土石流に流され亡くなった。どれだけ願っても、他愛もない話で笑い合い、ふざけ合ったりすることはできない。生前のことを思い出すたびに悔しくて毎日泣いて過ごしていた。

 しかし、被災して手に入れたものもあった。それは「夢」だ。被災して数日が経ち、ボランティア活動が実施されていることを知り、早速参加を決めた。毎日被災した家で土砂を掻き出したり、家の物を洗ったりしていると、被災した人々が皆涙を浮かべて「ありがとう、ありがとう。」と何度も言ってくれた。胸の奥が温かくなり、人から本当に感謝されることの喜びを知った。同時に、「被災地で悲しむ人々を勇気づける仕事に就きたい」という夢を見つけた。

 それから2年経った昨年、参加した災害医療についての講演会で、ある看護師の方に出会い、話をする機会があった。その看護師の方はDMATという医療チームの隊員で、災害時に被災地に赴き、けが人などを助けたり、人々の相談に乗るなど、多くの人を救っているのだと教えてくれた。

 「もうすぐフィリピンの被災地に行くことになっているの。家庭もあるから大変だけど、それ以上に自分は人に必要とされているんだと感じることができる。私ね、看護師になって後悔したこと、一度もないの。」

 そう言って笑うその方をとても強く、行動力のある女性だと感じた。そして私はその時、ずっと夢見てきた「被災地を勇気づける仕事」を見つけ、その人のような看護師になることを決めた。

 被災するまで、私には行動力が無かった。東日本大震災の後、私は被災地のために何をしただろうかと自問した。テレビに映る東北の被災地。お母さん、お母さんと瓦礫に向かって叫ぶ少女、泣きながら手を合わせる人々──。見る度に胸が締め付けられ、いつも涙が溢れてきた。チャンネルを変え、現実から目を背けたこともあった。東北の被災地のために私がしたことといえば、当時所属していた生徒会で義援金を集め、被災地に寄付したことくらいであった。しかしその半年後、自分が被災し現実を眼にすることで少し成長した。ボランティアに参加したり、東日本大震災と紀伊半島大水害のことを調べ、文化祭で発表し、風化させてはならないと呼びかけたりもした。頭の中で考えていても行動に移さなければ意味が無い。被災地と関わらなければ、いつかこのような悲惨な事実が最初から何も無かったかのように忘れ去られてしまうと思う。

 どのような仕事に就いても、被災地と関わるきっかけはどこにでもある。その中で私は看護師として被災地で働くことに決めた。自然災害を防ぐことはできないが、被害を最小限に抑えることならいくらでもできる。被災地で一人でも多くの命と、一つでも多くの心を救いたい。被災し、大切な人を亡くして命の尊さ、そして脆さを痛感した。そんな私だからこそできる看護がきっとあるはずだ。看護師って簡単な仕事じゃないよ、とよく言われる。しかし看護師になる「覚悟」は、看護師になりたいという強い気持ちが生むものだと思う。今の気持ちを忘れずにしっかり学び、側に居るだけで周りを明るく照らすことのできる被災地の太陽のような人になりたい。

 これから何十年先──。看護師として働く私がそれまでの人生を振り返った時、あの看護師のように笑って、こう言いたい。

 「私ね、看護師になって後悔したこと、一度もないの。」


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