群馬県立利根実業高等学校 3年

竹之内  史 哉
 

逆風だって向きを変えれば追い風になる
 
 「お父さんが…。」電話口の母の声は、泣き声でその後は聞き取る事ができなかった。しかし、何度も繰り返された、「今すぐ病院に来るように!」と言う言葉だけが心に重く響いたのだった。病室には次々と親族が集まり、そして、静かに父は心疾患で36年の人生を終えた。大声で泣き叫ぶ母。目の前の出来事が小学1年の私には理解できず、ただ茫然とする事しかできなかった。

 私の家は群馬県北部の利根郡昭和村にある野菜の専業農家だ。父の死後は祖父母と共に叔父が農業を継ぎ、4年が経ち経営もやっと安定してきた時の事だった。無理がたたったのだろうか。頼りにしていた叔父が急死し、その2ヶ月後には祖父も眠るように命を終えた。2人とも心筋梗塞だった。

 何で私だけがこんな目に遭うのかと悩んでいた矢先、今度は私が睡眠中に金縛りのような息苦しさに襲われた。精密検査で悪性の高脂血症と診断され、1ヶ月間は油と砂糖を完全に排除した食事が義務付けられた。中学1年の時、「辛い食生活をさせたのは、今のままでは20歳まで生きられないとお医者さんから言われたからだ」と母から聞かされた時、「やはり、そうだったのか」と妙に納得し、母への感謝を新たにした。

 中学3年になり、母は普通高校への入学を勧めたが、父に憧れていた私は、利根実業高校生物生産科に進学した。父のように農業の勉強ができる事がうれしく、次第に農業への思いが深まっていった。高校2年の夏休み、大規模農業が知りたくて村内で10ha以上を耕作する農家で研修をした。その年は野菜が極端に高く、意気揚々と働く姿に憧れた。表向きは全てが順調に見えたが、それとは裏腹にこのような状況が続くはずがないという不安が心の中で渦巻いていくのだった。

 東京の銀座にある「ぐんまちゃん家」という群馬県のアンテナショップで販売実習をした時の事だ。私は家で栽培した規格外のトマトを、いつもの価格で販売した。信じられないほど、本当に飛ぶように売れた。私は外形で判断し「価格」を決めていたが、お客さんは鮮度や充実度、つまり内容に「価値」を認めていたのだ。私は今まで、生産者の立場として流通の中で生まれる価格ばかりを考えていた。しかし、お客さんは私のトマトに違う価値を見出していたのだった。

 日本の農業には多くの問題点がある。後継者不足、耕作放棄地の増加、輸入の増大。どれも重大な問題で、出口が見つからず混迷状態である。しかし、農業を取りまく多くの問題点の根源は、消費者のニーズを考えずに生産を行っている事にあるように私には思えてならない。

 そこで、私はもっと消費者に近い販売を行いたい。インターネットを使えば消費者の本当の需要に応える販売が可能だ。年間を通して、安全で高品質な野菜を生産し、消費者の求める種類の野菜を、求める量だけ直接届ける経営は、必ず受け入れられると私は考えている。

 私の家の畑は各地に分散しているが、これは多品種生産にはむしろ好条件だ。そして、経営規模は4haと小さいが、手間のかかる有機栽培では大規模は必ずしも必要ではない。離農する家が多い現在では、経営が安定した後に規模拡大する事は可能である。また、TPPにより、安価な野菜が大量輸入される状況下では、安全安心な野菜は相対的に高い価値を認められるはずだと私は考えている。

 農業は現在、逆風のまっただ中にいると言われているが、逆風だって体の向きを変えれば追い風になる。農業は今まで生産ばかり考えてきた。しかし、消費者の側を向けば、既存の多くの問題を解決できる可能性だって生まれるはずだ。

 20歳まで生きられないと言われた私の命。父の愛した農業で、私の生きた証をこの地に残すために、私は生きる。


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