国際理容美容専門学校高等課程 1年

土 方  友梨菜
 

笑顔を与える美容師
 
 私が小学5年生の頃にふと見たテレビを今でもよく覚えています。それは、「カンボジア」という日本から見るととても貧しい国を芸能人が訪れ、そこで暮らす子供たちと遊び、将来についての話をしていた番組でした。何か辛いことがあっても、「私には『大きな夢』があるから頑張れる。」と、強い気持ちを子供たちは抱いていました。

 その中で1人の女の子が、「私は、お姉さんの様になりたい。」と、目をキラキラさせながら小さな声で言いました。その女の子の姿は、男の子がするショートカット「坊主」でした。「なりたいもの」があっても「やりたいこと」があっても高望みはせず、誰かに迷惑をかけない様にしている姿が見えました。そのテレビを見たとき、「私は、良い方だったんだ。まだ全然いい。」と思いました。

 幼少時代から白髪症で悩まされていました。何か髪を結ぶときも、ドライヤーするときも誰かに見つからない様に、母に「ねぇ、見えてない?」と聞いていた毎日でした。

 「どうして私だけが。」と嫌になり責める日もありました。

 髪の毛を染める時、「お母さんと一緒に染める」「同じものを使う」これが一番辛いことでした。母の2分の1の歳でもないのに、私が使っている事が凄く疑問に思えました。

 中学へ上がると、色々な悩みが積み重なり、ストレスが髪の毛に出てきました。「この頃大丈夫?白髪すごいよ。」と友達やクラスメイトから心配される事がありました。その度に心の中で、「なりたくてなっている訳じゃない。」と思い、1人になると大きな粒が机に流れ落ちていました。

 「どうして。私は皆の様に普通じゃないのだろう。」と疑問でした。ですが、そんな時に小学生の頃に見たテレビを思い出すのです。同い年で私より細い女の子が大きなバケツを両手に何キロメートルも先の場所へ水を運びに行くことや、土の中を堀り、硬貨を見つける仕事をしている子も、大好きな家族と一緒に暮らせず、月に1・2回しか会えない子もいるのです。それでも希望を持ち、皆生きています。今、私たちがしている勉強も、おいしい食べ物も、オシャレもできないのです。女の子なのに、可愛い格好も髪を伸ばしてクルクルに巻き髪にもできない子を思い出すのです。 

 「私が悩んでいた事は、これっぽっちだった。」そんな風に全ては思えないけれど、今でもあの女の子は私の支えでもあります。

 人それぞれ、自分の嫌な所があり、これから先ずっと直らない人もいます。皆が同じ顔や性格をしている訳ではありません。毎日の生活が普通に過ぎていき、うまくいかない事もこれから先たくさんあると思いますが、その時に「私たちが暮らしている毎日は普通に訪れるものではない。」という事を心に刻み生活していきたいと思います。

 小さい頃からのコンプレックスを「ちっぽけ」と思わせてくれた発展途上国の子供たちにこれから先、何か恩返しができたらいいなと思います。私たちが暮らしている様な生活にする事は、無理だと思います。ですが、一人ひとりがキラキラ笑顔になれる日が1日だけでも作ってあげる事はできる様な気がします。だから、私は将来美容師になり、何年かかるかわからないけれど、発展途上国で暮らす子供たちに私の腕できれいに、かっこよくしてあげられたらいいなと思います。

 そして、途上国だけでなく、日本に居る子供や大人、老人たちにも色々な髪の毛で悩んでいる人はいると思います。その人が毎日、笑顔でいられる髪型を作りたいです。


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