沖縄県立那覇国際高等学校 2年

平 良    匠
 

未来へ進む
 
 2011年3月11日、未曾有の災害が日本を襲いました。東日本大震災。僕は学校を終え帰宅したときに、テレビで流れる報道を見て知りました。巨大な津波に押し流される建物や家、黒い煙を上げた原子力発電所を見て、目の前に映る光景に息をのみました。被災地から遠く離れた土地に住む僕にとっても他人事とは思えず、目を背けたくなるような光景に恐怖を感じるとともに、これからの未来に対する大きな不安を感じたことを今でも覚えています。

 僕が所属していた生徒会では、少しでも被災地の力になれればと思い、募金支援活動を行いました。校内の先生や生徒、また、地域の方たちにも協力していただき、百万円を超える金額を被災地に送ることが出来ました。この活動をきっかけに、僕は「ほかにもっと出来ることはないか」と考えるようになりました。

 そんな時、僕はある一冊の本に出会いました。それは、チェルノブイリで起きた原発事故の際、現地で医療活動を行った医師、菅谷昭さんによって書かれたものでした。目に見えない、においもしない放射線の被害を特に受けたのは子供たちで、様々な健康被害に苦しめられたといいます。言葉も十分に通じない中、菅谷さんは子供たちの命を守るため自分の身を削ってでも治療を行うという決意を持って、治療活動をされていました。僕は菅谷さんの、命に向き合う姿勢に感動を受けると同時に、心の中にあった被災地への思いに灯がともりました。

 僕は中学生になってから医師という職業に興味を持ち、医師になることを目指して勉学に励んできました。しかし、それは「これがやりたい」という具体的なものはなく、抽象的なものでした。でも、被災地の現状を知るたびに大きくなっていく復興への思い、また菅谷さんの活動を知ったことをきっかけに、僕は放射線を専門とする分野に進みたいと考えるようになりました。

 チェルノブイリで起きた原発事故の際、子供たちに深刻な健康被害が出たのは数年以上が経ってからだったそうです。福島の原発事故から3年。今から様々な知識を活用して、子供たちの健康を守るべきだと考えます。僕は将来医師として、被災地の子供たちの健康や安全、そして命を守っていきたいです。

 また、厚生労働省の調査では、震災で被害を受けた子供たちの約3割に心的外傷ストレス障害(PTSD)の症状が見られることがわかりました。つらい体験がよみがえったり、夢に出てきたりすることは、子供たちに不安や苦しみを与え、子供たちから笑顔を奪っているはずです。僕は、医師という立場を生かしてそのような傷を負った子供たちの心のケアを行い、治療活動に加えて、子供たちの輝く笑顔の手助けをしたいと思っています。

 近頃テレビでは、震災に関する報道は少なくなってきているように感じます。あの悲しみを、あの苦しみを、僕たちは決して風化させてはなりません。震災が起きた際、多くの国からの支援や励ましのメッセージをもらいました。日本は必ず復興できると信じて、僕たちが明るい未来へ向かって進むことが大切なのです。

 僕は今年の夏、被災地でボランティア活動をする予定です。夢実現までの復興支援の一つとして、少しでも力になれるように頑張りたいと思います。そして、いつの日か自らの仕事を通して被災地に貢献できるように、医師という夢に向かって精一杯努力していきます。必ず復興できると信じて。


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