東京都立町田総合高等学校 3年

上 総  千 咲
 

私の理想とする職業人
 
 私の理想とする職業人は、父ちゃんだ。

 父ちゃんは運送業をやっていて、大型トラックにも乗れる。私は小さい頃一度、父ちゃんの運転する10トントラックに乗せてもらったことがある。信号にぶつかるんじゃないかとヒヤヒヤしたが、大きなハンドルを上手にきって運転する父ちゃんを見て、私はすごく憧れた。

 しかし、父ちゃんのかっこいいところはそれだけじゃない。私の一番憧れているのは、父ちゃんの仕事に対する姿勢だ。

 毎朝、家族の誰よりも早く起きて、父ちゃんは一人で仕事に行く。まだうす暗い冬の寒い朝だって、寝坊することもなく仕事に行く。

 夏場の暑い時期になると、大雨でも降ったのかと思うほど、汗でびしょ濡れになった父ちゃんが帰ってくる。それは、父ちゃんが一生懸命働いてきた証だ。

 時々、汗をかく仕事を馬鹿にする人がいるけれど、私はそうは思わない。作業着を着て仕事をする人、スーツを着て仕事をする人、屋外で仕事をする人、家で仕事をする人、世の中には色々な形で仕事をする人がいる。

 パソコンを相手にする仕事も、人を相手に仕事をする人も、物やサービスを売る仕事もある。私は、どの仕事も偉いとは思わない。そしてどの仕事も軽視するべきではないと思う。何かが偉いとかすごいではなくて、一生懸命に働くことができる人が立派だと思う。

 私は、どんな職種でも一生懸命にきちんと仕事をこなせる働き者の人が好きだ。どんなにいい職についていても、すぐに辞めてしまったり、ズルをする人は無責任な子供と同じだ。

 自分の夢や家族のために、責任を持って働くことができる人こそ、大人であり本当の意味での「理想の職業人」だと思う。

 世の中には、警察や医者のように人に感謝される仕事もあれば、仕事をしているのに嫌な顔をされてしまうごみ回収やセールスマンのような仕事もある。誰しも仕事をして、「ありがとう」と言われたいのは同じなのに、それではうまく回らないのもまた世の中というものだ。4番打者やエースピッチャーだけでは野球ができないのと同じだ。

 ブルーカラーと馬鹿にする人がいても、その人が住む町のゴミの回収、歩いてきた道路や渡った信号は作業着姿の人が一生懸命仕事をしたからあるのだ。また、作業着を着た人たちの持っている携帯電話や、笑って見ているテレビ番組はスーツを着た人たちが一生懸命仕事をしたからあるのだ。

 世の中は、ある意味一つの大きなチームだ。

 野球にピッチャーやキャッチャー、外野手や監督がいるように、社会でもたくさんの人が一つの歯車となって、この社会という大きな輪を回しているのだと思う。

 「社会の歯車」という言い方を嫌がる人もいるけれど、私は社会の歯車になりたい。父ちゃんのような、立派な歯車に。

 どの歯車であるかが重要なのではない。どんな歯車だったとしても、きちんと回すことが重要なのだ、と私は思う。

 今日、私が生きている社会、ないし町は、たくさんの働く大人によって作られたものだ。

 バスや道路、お店や学校のように目に見えるものも、教育や政治、社会制度など目に見えないものも、どこかの誰かが作ってくれたものだ。

 たくさんの働く大人に、敬意を払うと共に感謝したい。

 そして、父ちゃんをはじめ尊敬する他の働く大人に恥じない、立派な職業人に私はなりたい。


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