山形女子専門学校高等課程 3年

佐 藤  咲 希
 

東北の魂を全国に
 
 5月24・25日、山形は延べ23万、大勢の歓声で沸き立った。あの震災から3年2ヶ月強。仙台、岩手、福島に続き4回目の東北六魂祭が開催されたのだ。

 翌日の新聞は「希望よ、踊れ」と大きな写真入りで6県の華やかなパレードを取り上げた。踊り手、観衆は確かに希望を胸に底抜けの笑顔を見せた。でも私が見、感じたのは、『魂』だ。私はパレードを見ながら、故郷への愛・誇り・踊り手を含めた祭りを受け継ぐ熱い心を感じた。

 あの震災の日、私はいつも通り学校から自宅に帰り、部屋着に着替えようとしていた。突然地鳴りのような音と共に襲った震度5弱の大きな揺れ。私は反射的にこたつに身を隠した。長い…。体を小さく固め、揺れのおさまるのを待った。おさまったかと出ると揺れる。繰り返すこと3度。両親は職場だ。たった1人どうしたらいいだろう。私は焦った。そして思い切って歩いて10分の祖父母の家に走った。人の気配はない。信号機もついていない。異様な光景は今でも脳裏にこびりついている。玄関に立った私の足は震えていたという。

 『辛いのは 君だけじゃないなんて言わないで 悩んでるのは僕なんだから』現代学生百人一首に選ばれたこの句に共感する私は、被災者の方々を映し、励ます映像が好きではなかった。私自身、別室登校になった自分を変えよう、人を信じてみようと試みては、その都度傷ついてきたから。恐怖や停電・物資不足は体験したもののその程度だった私は、あまりに辛い体験をしてずたずたになっている人の心に入り込む姿が好きでなかった。

 十人十色の受け止め方がある。様々な歌手が被災地に歌を届けた時、励まし、励まされ、元気になった人がいた。それは確かだった。

 そして六魂祭。それは私にとって驚きの連続だった。山形駅に着いた時から見たこともない人の数だったが、パレード会場に着くと、歩道は幾重もの人で埋め尽くされていた。その数が第1の驚き。2つ目は笑顔。老若男女、様々な人がいるにもかかわらず笑顔が溢れていた。暑く、大混雑なのに和やかなのだ。それに人っていいなあと感じさせる。どの県の人達にも、みんながかけ声と歓声をあげる。その熱意を見、私は「人って嫌なところも確かにあるけれど良い面もあるかも」と思えてきた。早くから陣取った席を譲ってくれる姿に感動もした。人の良い面は連鎖を生むとも感じた。そして3つ目の感動が踊り手だ。暑く、大勢なのにもかかわらず、どの人も精一杯周囲を気遣う。息が合っている。踊りの歯切れの良さも見事だったが、私が一番感動したのは秋田の竿灯だった。強風の中、20メートルを超す竹竿と40を下げた提灯は50キロに及ぶ。それを手の平に、額に、肩に、腰に乗せ操る。倒れても笑顔で気合を入れ直し、挑戦する。こんなのへっちゃらとでも言いそうな演舞は、竹竿に「東北を興すにはまずこの竿灯で気合を」という念力を入れたかのようだった。倒れた竿灯を支える観衆の輪も自然に広がった。

 祭りは人の魂に問いかける。また、揺さぶる力を持っていると私は感じた。日本は天変地異が多い。そして先人は祭りをすることで神に平和を祈り、感謝し、次の1年への奮起を誓ってきた。観衆は祭りから学んでいる。多くの犠牲を弔いながらも、立ち上がり生き抜く強さと自信を、踊り手は私達の心に刻みつけてくれた。六魂祭で東北が繋がると共に、この感動を東北以外の各地域ブロックで披露することが私は、3・11を活かすことになると思う。苦しみの中で助け合い、がんばり合い、祭りに魂を込める真剣な姿に、日本人ならあの未曾有の悲劇を思い起こすだろう。

 頑なだった私の心が少し動いた。六魂祭の力は本物だ。「六魂祭で絆の種を蒔く」これが私の提案だ。


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