宮城県農業高等学校 3年

土 谷  移 月
 

牛と共に歩む道
 
 月明かりが差し込む暗い独房の中、命の灯火が消えようとしている。彼女の命を繋いでいたのは細い管だけ。私は顔を優しく撫でて見守ることしかできなかった。

 今から2年前、農業高校へ入学した私は牛好きが高じて牛舎に通い始めた。すぐに出産に立ち会うことになり、初めて見る生命の誕生に感動を覚えた。7月7日に生まれた白黒の子牛は七夕にかけてミルキーと名付け私が育てることに。

 放課後はミルキーと乳牛6頭が私を待っている。搾乳、エサやり、除糞、やることは多かったが充実した日々を過ごすようになった。

 暗くなるまで糞と埃にまみれ、街に遊びに行く普通の女子高生とかけ離れた生活だが、そんな生き方が気に入っていた。

 2年生になると、ミルキーが妊娠したことを知り、新しい家族が増える日がとても待ち遠しかった。しかし、そんなささやかな想いが打ち砕かれるとは考えもしなかった。

 出産予定日の10日前、携帯に「ミルキー危篤」という連絡が入る。パニックに陥りそうな自分を必死に抑えながら学校へ向かった。

 牛舎に置かれた一輪車にはシートがかけられ、怖々と中を覗くと、目を閉じて舌が出た状態の赤ちゃんが横たわっていたのだ。この受け入れ難い現実を突きつけられ、呆然と立ち尽くす私に先生は「死んだよ」と声をかけてくれた。その瞬間、何一つしてあげられなかった無力さと悲しみで涙が止まらなかった。

 最悪のことを想定してミルキーの元へ向かうと、いつもの様子で横たわっている。「生きていた」と安心したのは束の間、立ち上がろうとしない。いや、立つ事が出来ないのだ。

 子牛が産道を圧迫したため下半身麻痺に陥っていた。ミルキーは私にとって大事なパートナーだがペットではない。搾乳が出来ない牛は価値がなく、安楽死しか残されていないが、この状況で私に「諦める」という選択肢は微塵もなかった。子牛には何もしてやれなかったがミルキーはまだ生きている。せめて「ミルキーだけでも助けたい」その一心で自分が出来ることをしようと決意した。

 下半身にシップ、足には軟膏を塗り、常にミルキーの部屋を清掃した。立てないミルキーの胃にはガスが充満し、命にかかわることから腰を鎖で吊って強引に持ち上げて寝返りをさせなければならない。鎖が痛々しく身体に食い込むのを見ながら「ごめんね」と声をかけて身体を吊り上げる。ミルキーの命を繋いでいたのは点滴という細い管だけ。何も改善する兆しがないまま3日が経過し、身体は痩せ細り私の希望も光も消えていった。

 4日目になるとついに獣医師から「明日、立たなければ厳しいね」と宣告され、安楽死が一刻一刻と近づいていた。その夜、ミルキーの側を離れられず顔を撫でていると奇跡が起きる。突如、下半身に力を入れ始めた。私は思わず「頑張れ」と声を上げると、自力で立ち上がったのだ。すぐに倒れたが、目の前の奇跡に声をあげて泣いた。

 それから2か月後、私とミルキーは牛の骨格を競う宮城県共進会の会場にいた。私は牛を引くリードマンとして、ミルキーと共にプロの酪農家が集う大会に参加すると優秀賞を受賞。諦めないで最後まで命と向き合い信じ続けた結果だった。

 現在、私は命を繋ぐ獣医師になるために勉強をしている。ミルキーは話せなくても体温、糞、匂い、声、目で私に語りかけてくれる。今では牛達と五感で気持ちが通じ合えるようになった。ミルキー達と同じ時間を過ごすことで心が成長し、将来の目標を定めることができた。今度は私が牛に恩返しをする番だ。酪農家が一頭一頭に愛情を注いでいることを知っているからこそ「命」と「想い」を守りたい。もちろん、辛い命の選択を迫られる時もあるだろう。しかし、諦めない心が力になることを牛から学ぶことができた。だから私は自らが描く未来へ進むことができる。

 真っ青な空の下、今日も汗と埃にまみれよう。そよ風に揺れる牧草の中でミルキー達と共に生きる。それが私の選ぶ道だから。


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