国際理容美容専門学校高等課程 1年

山 本  紗 良
 

東日本大震災で学んだこと
 
 私が中学生の時に陸前高田市長の戸羽さんが学校に来てくれました。あの時何があったのか、今はどうしているのかを話してくれました。ニュースで見た情報よりもリアルに分かりました。それは津波です。10メートル以上の津波が襲いかかり、次から次へといろいろな物を飲み込んでいきました。特に被害のひどかった陸前高田市では、小中学校の体育館に周辺の住民が避難していました。そこに津波が来て人々を押し上げ、かろうじて波の上に上がれた人は、体育館の天井にあった鉄の網にぶら下がって助かりました。しかし一方で波に飲まれた人は流されていきました。想像もしていなかった事が一瞬にして起こり、今の今まで一緒にいた友達や家族の命が奪われる。どれだけショックだったでしょう。ニュースでは、うわべのことしか伝えないので、目の前で人の命がなくなるつらさやショックが全く伝わっていませんでした。その後私は、震災のあと何も無くなった瓦礫の中で、やっぱりここに残りたいと言っている人達をテレビで見ました。「何でここに残りたいんだろう、引っ越せばいいじゃん。」と正直私は思いました。だが、市長の話を聞いて目の前で仲間や家族の命がなくなったこと、でも自分は何もできなかったという悔しさや虚しさが街を復興したいという気持ちにつながっているのだとよく分かりました。

 私はその時町田市の小学校に通っていました。その日私は、学校の体育館で卒業していく6年生の送る会をしていました。体育館が少し揺れ始めたと思ったら急に大きな地震が来ました。先生が頭を守るように指示を出してみんなですぐに中央に集まりました。先生達が集まってすぐに情報収集をして、東北地方で今大地震が起こったと皆に伝えました。私達にとっては、こんな非常時は人生初体験という人がほとんどで、ショックを受けて泣いている人もたくさんいました。学校の地域はかなり広い範囲で停電になりました。

 電車はストップし、信号機が使えないので道路は大渋滞となりました。そのためすぐ引き取りに来れない保護者が多数いて、私の母も11時にやっと職場から徒歩で学校にたどり着きました。私達の学校には自家発電機があり、そのため体育館の中は昼のように明るかったのです。先生達は電気ポットでお湯を沸かし、雑炊を作ってくれました。非常時なのに私はすごく嬉しくなってしまい、先生や友達とキャンプに行ったような気分でした。むしろハプニングを楽しんでいました。

 しかし母が迎えに来てくれたら安心したのか涙が出てきました。そして学校の外へ出てみたらそこには明かり1つない真っ暗闇が広がっていました。その中を月明かりだけを頼りに1キロほど歩いて家に帰りました。月明かりに照らされた街は紫色をしていて、その夜は星もきれいでした。普段こんな街を歩けと言われたら、きっと怖くて1歩も歩けないのにその時はなぜか歩けました。いざとなると人間って強くなれるんだなと改めて思いました。

 戸羽市長は話の最後に「その日の朝も、いつもと変わらない平凡な朝だったのです。だからあれ以来、今日1日が何事もなく無事に終われるのは、あたりまえではなく奇跡だと思える。」と言っていました。友達がいて、家族がいて1日が平和に楽しく終わること。そんな普通の毎日がある日突然なくなってしまった時、私達は初めてなくしてしまった物の大切さが分かるのではないでしょうか。予想外の災害に遭ってかろうじて無事助かったとしても、心は相当なショックを受けています。でも私達はその現状から目をそらさず、何とか今ある状況の中で工夫をして生きる事ができます。

 この大震災で数々の人の強さや優しさに触れることができました。いつどの様な災害が起きてもおかしくない日本の状況ですが、何があっても前向きに捉えて、人を信じたいです。


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