広島なぎさ高等学校 3年

青 山  早智子
 

見えないところで支える仕事
 
 私は人に見えないところでこそ手を抜かず、向上心を持って努力し続ける職業人になりたい。

 私がそう思うようになったきっかけは高校2年生の時、部活動で中学1年生から高校2年生までが所属する係のチーフを経験したことだ。この仕事は後輩の失敗の責任を問われたり、夜遅くまで資料を作らなければいけなかったりと、体力的にも精神的にも大変な仕事だった。だが、部長などの花形と言える仕事と比べると、地味で目立たなかった。部活動の代表としてみんなの前で称えられ感謝される部長の横で、どれだけ仕事をしても認めてもらえないことが悔しかった。なぜ私ではなく彼女ばかりが、私の方が働いている、という思いが募っていった。誰にも見てもらえない私は部活動に必要ないのではないかと悩んだ。自分のやっている仕事に意味が見いだせず、毎日泣きながら帰っていた。

 「頑張っているね。あなたを見ていると先生も頑張らないといけないと思うよ。」

 保健室の先生に声をかけていただいたのは、そんなときだった。私はとても驚いた。私の努力を見ている人なんていないと思っていたからだ。そして、その先生を見ていると、他の人に認めてもらうために仕事をしているのではないことに気付いた。誰に見せるわけでもなく、見えないところでたくさん働いていた。このことに気付いたとき、努力を認めて欲しいと思っていた自分が恥ずかしくなった。他の人のことを思い、人知れず努力をしている先生はとてもかっこよかった。それから私の仕事に対する姿勢は変わった。誰かに認めてもらえなくてもいい。すごいと言われなくてもいい。自分が任された仕事を自分ができる最大限の力で一生懸命やった。より質の高い仕事ができるように、家でも努力した。1年間奔走し、引退した。私は自分の役割を果たしたと思うことができた。達成感に満ち溢れていた。私は保健室の先生にとても感謝している。あの言葉がなかったら、先生の仕事に対する姿勢に気付けていなかったら、この仕事をやり抜くことはできなかっただろう。

 この経験を経て、私が学んだことは2つある。1つはどんなところにも支える人がいたことだ。私はこれまでテレビなどで称えられる人や、目立つ仕事ばかりに目を向けていた。しかし、日の当たらないところで支えている人が大勢いて、その人たちの仕事のおかげで社会が成り立っていることが分かった。もう1つは感謝することだ。私の周りには私の知らないところでたくさんの人たちが働いてくれている。その人たちに感謝しようと思った。

 心で思うのではなく、言葉にして伝えるのだ。そうすることでそれまで見えていなかった努力が見えてくると思ったからだ。私は部活動の引退の日、両親に感謝の気持ちを伝えた。これまで気付くことができなかったけれど、この経験を通して初めて、両親がどれだけ私を支えてくれていたのか分かった。どんなに疲れていても毎日栄養を考えたごはんを作ってくれていたこと、大人になって困らないようにと、心を鬼にして厳しく叱ってくれていたこと、すべてが当たり前ではなかったと思うことができた。

 私は学校の先生になることが夢だ。あの時、私を支えてくださった先生のような、陰の努力を認め、支えてあげられる先生になりたい。また、誰かに認めてもらうために仕事をするのではなく、縁の下の力持ちのような、誰にも認めてもらえなくても一生懸命努力できる人になりたい。そうすることは多くの人に認めてもらうことよりも大切なことだと思う。


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