群馬県立伊勢崎興陽高等学校 3年

田部井    暉
 

大雪からの復興 祖父を超える農家に
 
 あの100年に1度といわれた大雪から2年、念願のイチゴを出荷することができました。

 我が家は群馬県伊勢崎市で祖父が50年以上前からイチゴ栽培をしている農家です。2年前までは、ハウス11棟約20aで5 00万円程の収入を得ていました。

 当時、農業に対する私の考えは打算的で意識が低く、祖父母に手伝いを頼まれても手伝おうとはしませんでした。しかし、あの大雪でハウスが圧壊してしまいました。普段は頼もしい祖父母も、大雪のショックで、弱々しい姿になっていました。

 これからのことを家族で会議した結果、潰れていないイチゴを収穫し、壊れたハウスの片付けをすることになりました。私と祖父母はハウスの中に潜り、無事なイチゴを摘んでいきました。潰れたハウスの中で、イチゴは赤く輝き収穫を待っていたように見えました。ハウスの中は所狭しと鉄パイプが倒れこみ、ビニールがイチゴを潰し悲惨な光景が広がっていました。足元の悪い中の収穫は祖父母にとっては大変な作業でした。祖父母の分まで頑張らなくてはいけない、それが私の使命だと思い、腰が痛くなるのを我慢しながら必死にイチゴを摘みました。祖父母はそんな私の頑張りを非常に褒めてくれました。私はなんだか誇らしい気分になり、少し大人になったような気がしました。そして、もっと祖父母の支えになろうと決心しました。自分がしっかりしなくてはいけない、という使命感がわき、農業後継者としての自覚が芽生えた瞬間でした。

 数日後、ハウスの片付けをすることになり友達にも協力してもらいました。人数が多いと仕事も早く進みます。みんなで作業を成し遂げたとき、家族みんなようやく一安心しました。そしてまたイチゴが収穫できるようになるまで、これからも祖父母と協力して頑張ろうと思った矢先、祖父が病気で入院してしまいました。祖父は自分の命を削りながら作業していたのかと思うと心が痛むとともに、祖父の偉大さを改めて痛感しました。祖父が私に繋げようとした農業。私はそれを引き継ごう、引き継がなくてはいけないと思い、私は農家になる決心を新たにしました。そして入院している祖父の分まで頑張ろうと思い、学校が終わるとすぐ家に帰り、自分にできることを見つけ手伝いをする日々が続きました。がんばって片付けを進めたおかげもあり、数ヵ月後には国からの助成金を得てハウスを再建させることができました。

 そしてハウスが潰れてから2年後、念願のイチゴ栽培を再開し、ついに収穫の時を迎えました。この時のイチゴは今までのイチゴより逞しく、赤く輝いて見えました。今までの苦労が喜びに変わった瞬間です。これが農業の醍醐味であり、農業の魅力なのだと実感しました。

 これらのことから農業に強い興味を持った私は地元の高校に進学し、総合学科の農業系列で農業のことを勉強するようになりました。学校では実習にも真剣に取り組み、自宅でも畑で多品種栽培に取り組んでいます。

 辛い思いをした2年間が、私の農業に対する思いを大きく変えたのです。

 今の私は、もっと農業の勉強がしたい、もっと野菜を育てたいと思っています。卒業後は農業大学校に進学し専門的な技術や知識をさらに学び、いずれは自宅の農業を継ぎたいと考えています。

 現在、日本の農業は後継者不足、TPP、異常気象など様々な問題を抱えています。私はいずれ農業法人を立ち上げ、大規模化のメリットを生かして、こうした問題に負けない農業を目指そうと思っています。そしていずれは、祖父を超えるような農家に、私はなります。


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