岡山県立岡山南高等学校 2年

神 原  竜 偉
 

忘れない思い
 
 東日本大震災が起こってから、早くも4年の月日が流れた。どれだけの人があの惨劇を今でも忘れずに覚えているのだろうか。あの大震災が起こった時、私は小学6年だった。ニュースで東日本の状況を見て、漠然と大変なことが起こったのだな、ということを感じた。津波で車や看板などが流されている映像を見てあんなことが同じ日本で起こっているのだと考えると、日本はこのままダメになるのではないかと思った。しかし、この時まだ自分はこの大震災を自分の身近なこととは全く考えられず、どこか遠い場所の話というように思っていた。

 4月、私は中学校の入学式で新入生代表のあいさつをすることになり、あいさつの練習をするたびに春から中学生だ、というワクワクした気持ちを高めていた。そんなときある1つのニュースを見た。それは東北の人たちで自分と同い年、すなわちその年から中学生となる人たちの入学式が行えないというものだ。そのニュースを見た瞬間、自分と同い年で今年から中学生なのに復興が終わってなく、入学式が行えない人たちがいるのだと思うと、私はこの震災のことがとても身近に感じた。それからやっと意識して東北の大震災のニュースなどを見始めたのだ。

 その頃、東北の復興を手伝うためにたくさんの人がボランティア活動に行っているというニュースが流れていた。また物資の支援をしている人もいるということを知った。私はそのニュースを見て自分も何か手伝いたい、と思っていたが、何も出来ずに日々を過ごしていた。すると母がある日ふと私に、「直接は何もできないかもしれんけど、間接的にできることをしたら良いやん。」と言った。

 間接的にできることが何も思いつかなかった私は、母に「例えばどういうこと?」と聞くと、意外な言葉が返ってきた。「この震災と、震災のニュースとか被災した人のニュースとか見て思ったこと、感じたことを忘れないこと、これなら出来るでしょ?」この言葉を聞いて私は確かに、と納得した。きっと、震災が起こって間もない今は、誰しもが東日本大震災について、何らかの感情をもっているけれど、これが1年たったらきっと、人々の意識の中で、東日本大震災のことは薄れていくだろう、と思った。

 また、今は防災について、放射能汚染、原発問題について日々ニュースで取り上げられていて、高い人々の意識も時間がたつにつれ薄れていくのではないか、とも考えた。だからせめて自分はこの気持ちを忘れずに過ごしていこうと思った。

 そこから3年後、中学の卒業式で私は答辞を読むこととなった。答辞を考えるとき、私はある思いを入れることを最初から決めていた。その思いとは、入学式をできなかった自分たちの同級生がいたこと、自分たちがこの学校に入学できたことは当たり前ではないということだ。この思いを答辞で読むことができたのは、母が「忘れないことなら自分にもできる」と言ってくれたからだと思う。

 思いを忘れない、ということで東北の被災した人たちに何ができるか、というと確かに直接的には何もできないと思う。しかし、忘れないということは、これからさらに災害が起こったとき、1番良い行動を選択できることにつながると思う。自分が感じた気持ちをみんなが持ち続けることで、起こせる行動はあると思う。震災から4年がたった今、みんなのなかにはどれだけの思いが忘れられず残っているだろうか。


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