岩手県立不来方高等学校 3年

谷 村  友 梨
 

あなたの心に「落書き」を
 
 「3・11 忘れるな!」

 高校3年の5月、遊びに出かけた時に見つけた落書きだ。車1台しか通れない狭い道で私はそれを見た。他にも2、3個ほど可愛いキャラクターが壁で楽しそうに遊んでいた。だが私が今も鮮明に覚えているのはこの言葉である。今にも消えそうなその落書きは、私の胸の中には今描かれたような、そんな感覚を残した。

 そう、私は今の今まで忘れかけていたのだ。なんて情けない。「震災」という箱を胸の片隅に寄せたまま、挙げ句の果てには埃もかぶせていたのだった。

 2011年3月11日。たまたま授業が早く終わり私は友達と下校中だった。ツンと冷たい風が鼻を通り、いつもより澄んだ空気だった。私はふと頭上の電線が揺れているのに気が付いた。木が揺れ、家が軋みだした。真っすぐだった一本道はくねくねと蛇のようになった。

 それから慌てて帰宅した。怖い、怖い。何が起きたのだろうか、そう考えた時に山の方から大きな音がした。内陸に住んでいるが山を越えると海があるのだ。家はまるで空き巣に入られた後のようだった。食器は散らばり、机の引き出しは全開。まさかこの日から3日間も電気・ガスなしの生活が続くとは思ってもいなかった。情報は全てラジオからだった。1日目はいつも通りに過ごせたが日が経つにつれ、すぐに限界がきた。何をするのも苛立ち、ネガティブな気持ちにしかなれなかった。電気が通ると沿岸の状況が克明に映し出されていた。生活感あふれていた家がただの塊になり、真っ黒な町になっていた。日に日に増えていく死者、行方不明者に胸を痛めた。そんな日が何日も続く。

 私は高校生になり、夏休みに学校交流イベントで山田町を訪れる機会があった。高台にある体育館以外はブロックが積まれており、小さな船が橋のかたわらに刺さっていた。

 昔は復興チャリティイベントや支援活動が1日中放送されていた。皆が力を合わせて復興事業に取り組んでいた。しかし今はどうだろうか?バラエティ番組がテレビを占領し、世界各地で起こる紛争、議員の問題行動がよく取り上げられる。このように偉そうにいう私でさえ、あの落書きを見つけていなかったら──。時の流れというのは恐ろしい。私達は忘れてはいけない。再び同じことが起こらないように。

 私はあの落書きと出会えて良かったと思う。書いた人はどういう気持ちだったのか、推測する事は難しいがそれによって自分の奥にあった記憶を呼び起こすことができた。壁に落書きをする行為は良くない、風紀の乱れの象徴とさえも受け取ることができる。可愛いキャラクターは消してほしいが、この言葉は残してほしいと思っている。

 いつか消される日が来るであろう落書き。時が経ち薄れていくこの落書き。これと共に消えていく復興への意欲、災害への危機意識。自然災害と常に隣り合わせの私達は各地で起こる事態に力を合わせて助け合っていかなくてはならない。一時期流行した五輪誘致の言葉「おもてなし」。しかし私達にはそれ以上に大事にしなくてはならない言葉がある。「おもいだし」だ。私が1人で思っていても何も変わらない。これを読んでくださった人が少しでも考えてくれたのなら幸せだ。あの「落書き」のような存在になれたなら──。


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