安城生活福祉高等専修学校 2年

小 嶋  理 紗
 

「心の花」を育て、共に生きる
 
 私には、1人の弟がいる。歳が3つしか離れていない大きな弟。弟は、生まれて数年の時から、ある病気と戦っている。それは自閉症だ。弟が生まれてから、自分中心で回っていた家族が変わった。今まで、いつも私のそばにいた父や母が、弟の世話をするために弟に付きっきりになり、構ってもらえなくなった。私は、弟に父や母をとられたと思い、とても悔しくてたまらなくなり、私はそれ以来、弟のことを見ようとしなかった。

 そして、弟をちゃんと見ないまま1ヶ月が過ぎた。その日は、仕事で父がいなかった。ちょうど母も買い物に出かけていて、家には私と弟の2人になった。私は弟を気にかけることもなく、ずっとぬいぐるみで遊んでいた。すると突然、お絵かきをしていた弟が泣き出し、壁に頭をぶつけ始めた。私は戸惑い、体をおさえつけてしまった。今思えば、さらに暴れだすということは目に見えて分かるが、当時の私はそこまで頭が回らなかった。おさえつけられ、さらに暴れだした弟を見て、私は衝動的に抱きついた。なぜ抱きついたのか今でも分からないが、「今じゃなきゃだめだ。」と感じたことを覚えている。そうしたら、少しずつではあったが、落ち着きを取り戻してきた。ふと、とても小さな声ではあったが、「お姉ちゃん。」と声が聞こえた。顔を上げたら弟が顔をくしゃくしゃにして笑っていた。今までちゃんと顔を見ようとしなかったが、よく見ると鼻、口元が似ている。私は「この子はたった1人の弟なんだ。」と感じ、小さな嫉妬で弟を見ようとしなかった自分に嫌気がさした。だが、自己嫌悪になっていても何も変わらない。一度犯してしまった罪はもう二度と消えることはないが償うことならできる。だから、今までできなかった「姉弟でしかやれないこと」をこれからたくさんやっていきたい。たくさん喧嘩して、たくさん仲直りして一緒に成長していこうと思う。

 そして数年が経ち弟は中学1年生になった。私は今まで通りやっていけると思っていたが現実は甘くはなかった。障がいを持っているから悪口を言われ、障がいを持っているから何もできないと決めつけられた。なぜ人は障がいとしか考えることができないのだろう。「障がい」ではなく「個性」として考えればいじめという名の差別はなくなるのではないだろうか。皆仲良く、幸せに。なんて言ったら綺麗事と言われるかもしれない。でも、私達が本当に目指さなければならないものは、差別のない幸せな世界だと私は思う。では、その世界を実現させるために何をするべきなのだろうか。それはその人を受け入れ、共に生きていく覚悟を決めることだと思う。一見簡単そうに思うが、実際はとても難しいことだ。これができてこそこの世界は素晴らしい世界に生まれ変わるだろう。

 私は将来、障がい者の方と一緒に仕事をし、辛いことも楽しいことも経験して人の心に寄り添うことのできる人になりたい。自分の中にある「心の花」を育て、全てを受け入れ、認めることのできる人が増えることを心から願っている。このように物事を考えることができるようになったのは、育ててくれた父と母、そして大切な弟のおかげだ。今もたくさんの人に支えられ、守られ生きている。この恩は社会へ出て働きだしたとき、やっと少し恩を返すことができる。今度は私がたくさんの人を支え、助け、見守る番だ。そのことを忘れず、毎日全てのことに感謝し、幸せを噛み締め、今この一歩を大切にしてたくさんの人と共に歩んでいこう。近い将来、たくさんの人にこの想いが届き、皆生活しやすく差別のない幸せな世界が実現する事を信じて。


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