東京都立瑞穂農芸高等学校 2年

小 林  芙 由
 

農業オタクを増やしたい
 
 私は毎朝5時に起き2時間ほどかけて高校に通っている。なぜそこまでしてこの瑞穂農芸高校に通うか、それは畜産を学ぶためだ。

 私の父は会社員で母は専業主婦だ。肉や野菜はスーパーに並んでいるものしか見たことがなかった。テレビや本で農業の諸問題を取り上げられても実感がわかなかった。自分は毎日口にするものについて何も知らないのだと気づかされた。同時に食料が生産される現場について知りたいと思った。

 畜産を学んでいくうちにこれからの日本の畜産の在り方を考えるには日本の農業、畜産の歴史を見る必要があると思った。今は農業も他の産業と同様に分業され消費者は生産現場から離れている。しかし江戸時代は農民が8割程いて、年貢や武士の給料にも米が使われ、多くの人の生活に農業が根ざしていた。そして地理的要因や宗教的な理由から明治頃まで食肉の文化はなく畜産はなかった。その中でも死んだ動物を扱う皮革加工を生業としてきた人たちはいた。その人たちはいやしい者として遠ざけられてきた。今は差別、偏見は少なくなってきているが「死」に携わる現場を積極的に見ようとしない文化が残っていると思う。しかし、私は授業でブロイラーのと畜を経験したことで生きている鶏を殺して食べているのだと再認識できた。その時の鶏肉はより一層おいしく感じられた。日本では用畜としての動物との関わりは長い歴史の中で育まれていないが、自分の食べる肉がどのように加工されているのかは知っておくべきだと思う。

 食料生産において日本の畜産の歴史と日本の消費者の歴史は浅くまだ始まったばかりだ。そもそも日本で畜産をやる意味はあるのだろうか。日本は稲作中心で米や野菜の作れる土地ならわざわざ畜産をやる必要はない。また飼料はほとんど輸入に頼っている。平成25年度の食料自給率は39%、肉類は55%だが飼料自給率を考慮すれば8%となる。しかも先に述べた39%というのはカロリーベースなのでカロリーの高い畜産物によって引き上げられることも考慮すればもっと低く見積もられるだろう。飼料の輸入をしたいのは日本だけではないので今の状態は不安定といえる。

 このように畜産の抱える問題は多いがそれでも日本で畜産をやる意味はあると思う。米も野菜も作れない土地や耕作放棄地を有効利用することができるし、食料生産の現場を伝える手段となる。生産者は食料生産の現場をよく知っているが消費者は知らない。その消費者たちが親となりその子がまた親となる。生産現場と消費者の溝は深まるばかりだ。日本の農業を創造していくときにこの溝を埋めていくことが鍵となってくるだろう。農業の課題を克服するにはその実情をよく知るプロフェッショナルが必要だが、生産者側からのアプローチだけでは克服は難しいだろう。消費者の意識も農業に向く必要がある。

 私は畜産を学ぶうちに魅力を感じもっと知りたいと思った。その面白さを多くの人に伝え、農業に可能性を感じてほしい。そのためにまず私自身が農業と畜産を熱く語れる畜産オタクになりたい。そして日本に必要な農業の形を模索して食育活動などを実践している経営者たちと消費者の橋渡しをしたい。インターネットや本などを通して農業を知りたい人に情報を提供するのだ。

 農業者は夢とビジョンを持ち挑戦する。それとともに消費者もどんな農業であるべきか考える。消費者参加型で日本の農業の課題を克服できる農業オタクたちを増やしていきたい。


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