北海道北見工業高等学校 3年

佐 藤  隼 人
 

理想の職業人
 
 私の理想の職業人は祖父である。祖父は建設業の社長をやっている。昔、祖父の働く現場に行った時、暑い中、汗水垂らしながら作業している祖父をかっこいいと思った。祖父には「継がなくてもいいよ」と言われたので、私は別の職業を目指しているのだが、私が理想としている理由は祖父の仕事への熱意だ。客の話を真剣に聞き、現場での努力を絶え間なく行っている。そんな姿に私は憧れた。私もどんなに辛くても諦めずに努力をしていきたいと心から思った。

 祖父は高校生の時点ですでに建設の仕事をしていたらしく、昼は仕事、夜は定時制の高校で勉強していた。その当時の仕事は先輩達がそうとう厳しく体力的にも、精神的にもきていた。しかし働かないと生きていけなかったため頑張って働き続けた。そういった経験があるからこそ祖父は今でも努力ができているのだと思った。

 何年か前に祖父と現場に行った。トラックに乗って向かったのは町から少し離れた所だった。そこには祖父と共に働く仲間達がいた。その人達は、主に祖父の兄弟や友達で知らない人はいなかったため、すぐにその現場の雰囲気に慣れることが出来た。私は危ないからとトラックの中から皆の姿を見ていた。祖父は設計図を見ながら皆に指示をしていた。私は建設系の知識はなかったため、何を言っているのか分からなかったが、皆は祖父を信頼しているように見えた。私はそこで初めて祖父の格好いい姿を見た。帰りにはコンビニエンスストアに寄ってアイスを買ってくれるなど優しい面もあった。私も仕事はしっかりと出来て、交流の出来る人になりたいと思った。

 そんな仕事もプライベートもしっかりしている祖父に異常が起こった。7年前、私が学校から帰って来ると、珍しく家に誰もいなかった。その途端仕事から帰ってきた母が「じいちゃんが倒れて今病院にいる」と言った。急いで母と病院に向かった。病室には普通にベッドにいる祖父の姿があった。その時はそんなに重い病気じゃないのだと思った。しかし少し動きが鈍かった。左半身が動いていなかった。脳梗塞らしい祖父は約半年入院した。毎日は無理なのでたまにお見舞いに行くと笑顔の祖父がいた。リハビリをしっかりやっていると医師が言っていた。完全に動けることはないらしいが、1日でも早く現場に戻り、また仕事がしたかったのだろう。しかし退院後も軽く歩くことしかできず、現場に行けなかった。ある日、祖母が「今まで頑張ってきた分しっかり休みなさい。」と言った。すると祖父は泣いた。男泣きだった。それほど仕事に誇りを持って努力してきたのだろう。

 しかし今ではパソコンを使って設計図や見積書などを作っている。やはり仕事が好きなのだ。とは言っても祖父はもう70歳。老化のせいで物忘れが多く、祖父の事務所にはメモがたくさん貼られている。そのメモを見るだけでもそうとうの量の仕事をしていることが分かる。そして家にかかってくる仕事の電話も毎日鳴っている。最初はうるさいと思ったが、今は祖父のことを信頼して依頼や相談をしてくる人がいるのだと思うと、まったく気にならなくなっていた。70歳になっても仕事を続ける祖父は本当に凄いと思った。私は祖父とは違う仕事をしようとしている。しかしどの職業に就いても、就いた仕事が天職だと思い、最後まで諦めずにやっていきたいと思う。

 私は現在、就きたい職業に向けて、勉強や面接練習をしている。祖父の様な素晴らしい職業人になるために、今から目標を持って日々努力していきたい。


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